「敗レテ目覚メル ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ」
戦艦大和の臼淵磐大尉が特攻出撃の意義を説明した言葉と言われる。
「大和」は僚艦9隻と共に沖縄海上特攻作戦で同年4月7日早朝、黒島沖を通過し、沖縄へ進撃中、米海軍艦上機群と交戦、沈没した。世界の海戦史上例がない艦隊特攻であり、しかも戦艦の特攻だった。
戦艦は国の知力、財力を傾けて建造する軍艦であり、一国の戦略を表す存在だ。その戦艦特攻に殉じる意味を21歳の青年士官は「明日生きる」よりも「今日死ぬ」を訴えた。
臼淵が描いた中学生時代の絵を見た。
「面 微笑」と題し、「昭和十四年八月十八日夜九時三十五分作」とある。
16歳の誕生日の4日前、横浜第一中学校3年生の時だ。印影濃いペン描写で分厚い唇が薄笑いしている男の顔だ。少年から青年にさしかかる時期に特有に現れる倦怠感からくるのかニヒルでデカタンの雰囲気に満ちている。
臼淵少年は夢野久作を愛読し、虚無感を愛していたと思われる。①
描いた時刻を記録している。臼淵は海軍兵学校進学を決め、入学は約3ヶ月後の12月1日に迫っていた。
「大和」は僚艦9隻と共に沖縄海上特攻作戦で同年4月7日早朝、黒島沖を通過し、沖縄へ進撃中、米海軍艦上機群と交戦、沈没した。世界の海戦史上例がない艦隊特攻であり、しかも戦艦の特攻だった。
戦艦は国の知力、財力を傾けて建造する軍艦であり、一国の戦略を表す存在だ。その戦艦特攻に殉じる意味を21歳の青年士官は「明日生きる」よりも「今日死ぬ」を訴えた。
臼淵が描いた中学生時代の絵を見た。
「面 微笑」と題し、「昭和十四年八月十八日夜九時三十五分作」とある。
16歳の誕生日の4日前、横浜第一中学校3年生の時だ。印影濃いペン描写で分厚い唇が薄笑いしている男の顔だ。少年から青年にさしかかる時期に特有に現れる倦怠感からくるのかニヒルでデカタンの雰囲気に満ちている。
臼淵少年は夢野久作を愛読し、虚無感を愛していたと思われる。①
描いた時刻を記録している。臼淵は海軍兵学校進学を決め、入学は約3ヶ月後の12月1日に迫っていた。
中学校3年間、臼淵の担任だった万葉学者犬養孝(1907-98)は「教師生活30年間でこれは、と思った教え子は臼淵磐君。彼に匹敵する生徒は1年下の黛敏郎君だけだ」という。②
…… 文学がわかるから人の心はわかると思う。表面は軍人、柔らかいところは見せないと思うが、心の中では人の心がよく分かっていたと思う。任務以上に意味を考える青年だ……
犬養先生の臼淵礼讃は続く。
……万葉集は4年で教える。臼淵君は3年で兵学校へ行ったから、万葉集の授業は受けていない。万葉集を知ったら、純心のかたまりだから、万葉集にのめりこんで、万葉学者になったのではないか。万葉を知らずに死んだ……
教養ある感受性に満ちあふれた青年は「敗れて目覚める」に戦艦による特攻任務の意味を求めた。
…… 文学がわかるから人の心はわかると思う。表面は軍人、柔らかいところは見せないと思うが、心の中では人の心がよく分かっていたと思う。任務以上に意味を考える青年だ……
犬養先生の臼淵礼讃は続く。
……万葉集は4年で教える。臼淵君は3年で兵学校へ行ったから、万葉集の授業は受けていない。万葉集を知ったら、純心のかたまりだから、万葉集にのめりこんで、万葉学者になったのではないか。万葉を知らずに死んだ……
教養ある感受性に満ちあふれた青年は「敗れて目覚める」に戦艦による特攻任務の意味を求めた。
① 1994(平成6)年2月3日、臼淵磐の妹谷汎子さん取材
② 1994(平成6)年2月5日、犬養孝氏取材、兵庫県西宮市の自宅で
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② 1994(平成6)年2月5日、犬養孝氏取材、兵庫県西宮市の自宅で
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