ジャーナリスト清沢洌(54)は1945(昭和20)年1月25日、八木秀次・技術院総裁(58)の国会答弁「技術者として特攻隊員に詫びる」を伝える読売新聞記事を読み、「この答弁は、非常な感激を議場に生んだ。泣いているものあったという。……日本人はいって聞かせさえすれば分かる国民ではないのだろうか」と戦時日誌、「暗黒日記」に書いた。
八木博士は「決戦兵器の見通し」の質問に「戦局は必死必中のあの神風特攻隊の出動を待たねばならなくなったことは、技術当局として誠に慚愧にたえず、申し訳ないことと考えている」と答え、「必中の兵器は間もなく登場する」と結んだ。技術者として特攻兵器出現を詫びたのだ。
八木博士は「決戦兵器の見通し」の質問に「戦局は必死必中のあの神風特攻隊の出動を待たねばならなくなったことは、技術当局として誠に慚愧にたえず、申し訳ないことと考えている」と答え、「必中の兵器は間もなく登場する」と結んだ。技術者として特攻兵器出現を詫びたのだ。
3ヶ月ほど前の1944(昭和19)年10月後半から日本の陸海軍はともに特攻機をはじめ、水上、水中の特攻兵器を作戦に使い始めた。
八木博士は八木宇田アンテナで知られる人だ。この発明は日本では評価されずに15年後、太平洋戦争緒戦のシンガポール陥落時、捕獲した英軍の電波探知機が八木アンテナを使用していたことから再評価された。同時に敵に我が国の技術力を教えられる、という皮肉な結果となり、日本の技術の在り方を象徴する人物でもある。
八木博士の答弁は全国紙3紙に掲載されている。戦前、日本の軍国路線化、大陸進出に終始、批判の論陣を張った清沢は3紙を読んでいたはずだ。が、八木博士答弁については読売のみを取り上げている。
清沢洌の「暗黒日記」は戦時中の新聞記事をスクラップし、接触した庶民、要人の言動を記録した。官僚主義、迎合ジャーナリズムを批判し、資料的価値を評価されている。
清沢洌の「暗黒日記」は戦時中の新聞記事をスクラップし、接触した庶民、要人の言動を記録した。官僚主義、迎合ジャーナリズムを批判し、資料的価値を評価されている。
読売新聞は一面に主見出しを3本立て、八木博士が答弁する写真を扱い、10段抜きという大きな扱いだ。
「待て敵撃滅の新兵器」
「〝必死〟でなく〝必中〟の決戦兵器出現近し 特攻隊に詫ぶ献身精進」
「見るべき成果 科学陣動員余力あり」
答弁内容を詳しく伝える。
「決戦兵器の真髄は必死ならざる必中のものでなければならぬ。我が決戦兵器についても見るべきものは多々あるのであるが、戦局の進展余りにも急にして決戦兵器出現前に特攻隊を生まざるを得なかったのは全科学者挙げて申し訳ないと思っているところである」と特攻隊の捨身尽忠に対する科学者の偽らざる心情である、と評価。
さらに別稿で答弁要旨をたてた。
「……最近必死必中ということがいわれるけれども、必死でなくて必中であるという兵器を生み出すことが、われわれかねがねの念願なのであるが、これが充分に活躍する前に、戦局は必死必中のあの神風特攻隊の出動を待たねばならなくなったことは、技術当局として誠に慚愧にたえず、申し訳ないことと考えている……」
議場の様子をこう伝える。
「八木技術院総裁の登壇によって珍しく場内に拍手がわき、干天に慈雨の情感を覚えさせた」
「同氏の謙虚な態度と自信ある発言は、国民が国会に『何か?』を求めてやまなかったものに解答をあたえた一つであった。したがって場内の力をこめた拍手は同時に一億、いな大東亜十億民衆の拍手だといってもこの際、誇張にはわたるまい」
「決戦兵器が遠からず現れ、決定的な威力を発揮するであろうことを示唆に富む言葉の中に力強く言明するや、議場に雷鳴閃くがごとく感動をあたえ、『国民は期待しているぞ』と感激の声あり、感涙にむせぶ議員もあって、議場の拍手、期せずして湧き、議場には久しぶりに明朗かつ自信満々の戦意が満ちた」
「待て敵撃滅の新兵器」
「〝必死〟でなく〝必中〟の決戦兵器出現近し 特攻隊に詫ぶ献身精進」
「見るべき成果 科学陣動員余力あり」
答弁内容を詳しく伝える。
「決戦兵器の真髄は必死ならざる必中のものでなければならぬ。我が決戦兵器についても見るべきものは多々あるのであるが、戦局の進展余りにも急にして決戦兵器出現前に特攻隊を生まざるを得なかったのは全科学者挙げて申し訳ないと思っているところである」と特攻隊の捨身尽忠に対する科学者の偽らざる心情である、と評価。
さらに別稿で答弁要旨をたてた。
「……最近必死必中ということがいわれるけれども、必死でなくて必中であるという兵器を生み出すことが、われわれかねがねの念願なのであるが、これが充分に活躍する前に、戦局は必死必中のあの神風特攻隊の出動を待たねばならなくなったことは、技術当局として誠に慚愧にたえず、申し訳ないことと考えている……」
議場の様子をこう伝える。
「八木技術院総裁の登壇によって珍しく場内に拍手がわき、干天に慈雨の情感を覚えさせた」
「同氏の謙虚な態度と自信ある発言は、国民が国会に『何か?』を求めてやまなかったものに解答をあたえた一つであった。したがって場内の力をこめた拍手は同時に一億、いな大東亜十億民衆の拍手だといってもこの際、誇張にはわたるまい」
「決戦兵器が遠からず現れ、決定的な威力を発揮するであろうことを示唆に富む言葉の中に力強く言明するや、議場に雷鳴閃くがごとく感動をあたえ、『国民は期待しているぞ』と感激の声あり、感涙にむせぶ議員もあって、議場の拍手、期せずして湧き、議場には久しぶりに明朗かつ自信満々の戦意が満ちた」
清沢は同日記でこういう。
……(『読売』―非常にスペースを割いてその状況を伝う)これは、封建的なる愛国観(死ぬことを高調する道徳)に対するインテリの反発の発露だ。誰かが言ってくれたらいいと考えていたところだ。それを八木博士がいったのだ。
日本人は、いって聞かせさえすれば分かる国民ではないのだろうか。正しい方に自然につく素質を持っているのではなかろうか。正しい方に赴くことの恐さから、官僚は耳をふさぐことばかり考えているのではなかろうか。したがって言論自由が行われれば日本はよくなるのではないか。来るべき秩序においては、言論自由だけは確保しなければならぬ。
……(『読売』―非常にスペースを割いてその状況を伝う)これは、封建的なる愛国観(死ぬことを高調する道徳)に対するインテリの反発の発露だ。誰かが言ってくれたらいいと考えていたところだ。それを八木博士がいったのだ。
日本人は、いって聞かせさえすれば分かる国民ではないのだろうか。正しい方に自然につく素質を持っているのではなかろうか。正しい方に赴くことの恐さから、官僚は耳をふさぐことばかり考えているのではなかろうか。したがって言論自由が行われれば日本はよくなるのではないか。来るべき秩序においては、言論自由だけは確保しなければならぬ。
毎日新聞は横見だしの記事の扱いだ。「横見だし」は記事の重要性の判断を避ける時によく使う手だ。記事の内容は読売と大差なく、見出の「必死なき必中兵器」と「必死なき」を掲げ、暗に特攻戦術を批判する。
朝日新聞は見出しには「必死なき」の文字は掲げていないが、文中で「特攻隊に詫びる」部分は大きい活字を使い、目立つよう工夫している。写真は使っていない。
当時は新聞紙法による検閲があり、「特攻隊批判」は表に出ないように忖度したのだろう。毎日、朝日共に八木博士の答弁のみを掲載しているが、読売は議場の反応を詳しく伝えた。清沢はここに反応した。
記事を仕上げるためには、原稿を書く記者はもちろん、原稿を見るデスク、見出をつける整理記者の連携、さらに部長クラスの了解が必要だ。この読売の記事は特攻作戦に批判的な立ち位置を目立つ記事で示した点で評価できる。
しかも八木博士に寄り添う形で面従腹背の記事に仕上げたことは、現場をよく見たことにありそうだ。
読売の記者は特攻隊出現の意味を深いところで捉えていたのだろう。しかし、新聞記者が自分の思いを訴えても、立場が違う者がいくら声高に叫んでも人々の胸に届かない。新聞記者は見たこと、聞いたことを伝える人なのだ。
八木博士の「特攻隊員に詫びる」「必死ではなく必中の兵器を」発言に国会の満場が声涙に包まれた様子を伝えてこそ新聞記事といえる。
その点、毎日、朝日の記事は報告書のレベルだ。ただ、朝日は記事量に対して見出を5本も立てていることは、このままで済ましてはならない、という感情が入っていたのだろう。
八木博士は戦後、1953(昭和28)年、「技術人夜話」を河出書房から出した。
その中で先の太平洋戦争の敗因をいろいろな所で触れている。
「発明発見と国民性」の題した章では、日本人が言葉に踊りやすい一面を指摘している。
………
私が幼時から見ていた日本人、即ち昔の日本人はとても諦めがよくて、批判力を尊ばず、理性判断するよりも伝統を重んじ、迷信に陥り、まじめに考うべき重大事をも語呂合わせや駄洒落で解決しようとした。理性を欠いた感情と意思ばかりのような人間が多く、芸術的であり、宗教的であるように見えながら、実は芸術にも宗教に徹する人は多からず、芸術宗教に使われる言葉を記憶して、これを振り回す者が多く、新語、標語、独断的格言を好み、文字に感激する気風が強かった。
察するに支邦(中国)の文化の「科挙」の制度に禍されて、暗誦を尊ぶ風潮が盛んだったのが、わが国に伝わって、日本も言葉の国になってしまったのではないか。
………
わが国で科学振興を妨げているのは、家庭人の無理解もさることながら、政治家の不明や責任の地位にある者らの怠慢の方が罪が深いのである。
最近になって(昭和15、16年のこと)、科学は人類全体に恩恵を及ぼす、その恩恵を日本人のみに限らないのが宜しくないといって非難する者さえ現れ、広く知識を世界に求める学者の勉強を無用といい、古事記、日本書紀にかえればよい、という考えさえあった。実に驚くべき偏狭の謬見だと思う。
健全な社会の建設にも生産拡充民政安定にも科学を欠くことはできない。さらに世界平和の理想を実現するには、特に科学が重要な役割を果たすべきだ、と確信するのである。
科学や技術を専門としない人々も、特に教育に従事する人は、発明発見の意義、並びに重要性についてよく理解すれば、必ずその成果が著しいと考えて、敢えて所信をのべたのである。
当時は新聞紙法による検閲があり、「特攻隊批判」は表に出ないように忖度したのだろう。毎日、朝日共に八木博士の答弁のみを掲載しているが、読売は議場の反応を詳しく伝えた。清沢はここに反応した。
記事を仕上げるためには、原稿を書く記者はもちろん、原稿を見るデスク、見出をつける整理記者の連携、さらに部長クラスの了解が必要だ。この読売の記事は特攻作戦に批判的な立ち位置を目立つ記事で示した点で評価できる。
しかも八木博士に寄り添う形で面従腹背の記事に仕上げたことは、現場をよく見たことにありそうだ。
読売の記者は特攻隊出現の意味を深いところで捉えていたのだろう。しかし、新聞記者が自分の思いを訴えても、立場が違う者がいくら声高に叫んでも人々の胸に届かない。新聞記者は見たこと、聞いたことを伝える人なのだ。
八木博士の「特攻隊員に詫びる」「必死ではなく必中の兵器を」発言に国会の満場が声涙に包まれた様子を伝えてこそ新聞記事といえる。
その点、毎日、朝日の記事は報告書のレベルだ。ただ、朝日は記事量に対して見出を5本も立てていることは、このままで済ましてはならない、という感情が入っていたのだろう。
八木博士は戦後、1953(昭和28)年、「技術人夜話」を河出書房から出した。
その中で先の太平洋戦争の敗因をいろいろな所で触れている。
「発明発見と国民性」の題した章では、日本人が言葉に踊りやすい一面を指摘している。
………
私が幼時から見ていた日本人、即ち昔の日本人はとても諦めがよくて、批判力を尊ばず、理性判断するよりも伝統を重んじ、迷信に陥り、まじめに考うべき重大事をも語呂合わせや駄洒落で解決しようとした。理性を欠いた感情と意思ばかりのような人間が多く、芸術的であり、宗教的であるように見えながら、実は芸術にも宗教に徹する人は多からず、芸術宗教に使われる言葉を記憶して、これを振り回す者が多く、新語、標語、独断的格言を好み、文字に感激する気風が強かった。
察するに支邦(中国)の文化の「科挙」の制度に禍されて、暗誦を尊ぶ風潮が盛んだったのが、わが国に伝わって、日本も言葉の国になってしまったのではないか。
………
わが国で科学振興を妨げているのは、家庭人の無理解もさることながら、政治家の不明や責任の地位にある者らの怠慢の方が罪が深いのである。
最近になって(昭和15、16年のこと)、科学は人類全体に恩恵を及ぼす、その恩恵を日本人のみに限らないのが宜しくないといって非難する者さえ現れ、広く知識を世界に求める学者の勉強を無用といい、古事記、日本書紀にかえればよい、という考えさえあった。実に驚くべき偏狭の謬見だと思う。
健全な社会の建設にも生産拡充民政安定にも科学を欠くことはできない。さらに世界平和の理想を実現するには、特に科学が重要な役割を果たすべきだ、と確信するのである。
科学や技術を専門としない人々も、特に教育に従事する人は、発明発見の意義、並びに重要性についてよく理解すれば、必ずその成果が著しいと考えて、敢えて所信をのべたのである。
部終
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