1995(平成7)年10月21日、呉市文化ホールであった「シンポジウム『大和』」におもう」に、これまでの研究分野から戦艦大和には触れたことがないという近世文化を専門とする田中優子・法政大教授(現在、同大学総長)が登壇した。
主催者側としては、戦艦大和を多方面から取り上げ、このシンポジウムをきっかけに大いに論議を巻き起こそう、という意味で期待の講師だった。
田中氏自身は会場の呉市文化ホールに到着しても「なぜ、畑違いの私を講師に招いたのか」と不安げだったが、結果は日本の基層文化である「鎮魂」を踏まえた戦艦大和文化論を展開。呉市民に思いがけない視点を与え、新鮮な気分が満ちあふれた。
主催者側としては、戦艦大和を多方面から取り上げ、このシンポジウムをきっかけに大いに論議を巻き起こそう、という意味で期待の講師だった。
田中氏自身は会場の呉市文化ホールに到着しても「なぜ、畑違いの私を講師に招いたのか」と不安げだったが、結果は日本の基層文化である「鎮魂」を踏まえた戦艦大和文化論を展開。呉市民に思いがけない視点を与え、新鮮な気分が満ちあふれた。
田中優子氏は「『大和』について二つの大事な問題がある」と前置きして、「物語」と「技術」をあげた。
…大和という言葉が現代の中にまで受け継がれながら、例えば宇宙戦艦ヤマトであるとか、あのように新しい物語になっていくのはなぜなのだろうか。
物語の継承を日本の文化はずっとやってきました。江戸時代、毎年お正月に上演した歌舞伎がある。「曽我物」で、毎年新しい物語をつくる。家族がみんなで仇討ちをする、という物語で、最終的には「助六」となる訳です。
曽我十郎、五郎という兄弟が登場しますが、五郎という助六になる人は、御霊信仰と言いまして、恨みをのんで死んでいった人、あるいは無念、恨みというよりも残念だな、と思いながら死んでいった人の代表なのです。こういう人たちの魂は演劇、浄瑠璃(文楽)のような語り物、あるいは物語ることによって人々の記憶にもう一度蘇らせて魂を沈める。鎮魂です。
曽我十郎、五郎という兄弟が登場しますが、五郎という助六になる人は、御霊信仰と言いまして、恨みをのんで死んでいった人、あるいは無念、恨みというよりも残念だな、と思いながら死んでいった人の代表なのです。こういう人たちの魂は演劇、浄瑠璃(文楽)のような語り物、あるいは物語ることによって人々の記憶にもう一度蘇らせて魂を沈める。鎮魂です。
能の夢幻能―旅人や僧が、夢まぼろしのうちに故人の霊や神、鬼、物の情などの姿に接し、その懐旧談を聞き、舞などを見るという筋立て―も鎮魂のために行われたのですが、あらゆる日本の演劇は鎮魂のために存在します。
鎮魂によって、無念を込めながら死んでいったために荒々しいエネルギーになって蘇ってきてしまうかもしれないものを逆転し、私たちを守ってくれる神様にしてしまう、これが日本の文化の中での鎮魂、物語の意味です。
鎮魂によって、無念を込めながら死んでいったために荒々しいエネルギーになって蘇ってきてしまうかもしれないものを逆転し、私たちを守ってくれる神様にしてしまう、これが日本の文化の中での鎮魂、物語の意味です。
「曽我物語」だけではありません。「忠臣蔵」は鎮魂の意味で繰り返し、繰り返しいろいろな物語に変換されてきました。「忠臣蔵」の後ろには「太平記」という物語があります。「太平記」が「忠臣蔵」になる訳です。
そして「平家物語」。これも戦争です。たくさんの戦争が日本でも起こりました。「平家物語」ではご存知のように負けていった人たちの魂を何度も何度も語り継ぎ、鎮魂します。
語り継ぐことによって鎮魂していこう、という物語の伝統があるのです。ですから、戦争にかかわるあらゆることについて黙ってしまわないことがとても大事だ、と思う。称賛するという意味ではなく、まさに鎮魂という意味で物語り続けることは、とても大事なことに思えるのです。
戦争やその中で行われたことについて、もう一度復活したいと思っている人はあまりいない。江戸時代でもそうでした。「忠臣蔵」をもう一度やりたい、と思う人は誰もいない。誰もいないので「忠臣蔵」の裏物語である「四谷怪談」が出てくる訳です。
裏にある物語を記することによって、あの事件はなんだったのか、を見ようとする。高い評価だけではなくて違う評価をしようとする。そういう芝居すら出てきた。
そして「平家物語」。これも戦争です。たくさんの戦争が日本でも起こりました。「平家物語」ではご存知のように負けていった人たちの魂を何度も何度も語り継ぎ、鎮魂します。
語り継ぐことによって鎮魂していこう、という物語の伝統があるのです。ですから、戦争にかかわるあらゆることについて黙ってしまわないことがとても大事だ、と思う。称賛するという意味ではなく、まさに鎮魂という意味で物語り続けることは、とても大事なことに思えるのです。
戦争やその中で行われたことについて、もう一度復活したいと思っている人はあまりいない。江戸時代でもそうでした。「忠臣蔵」をもう一度やりたい、と思う人は誰もいない。誰もいないので「忠臣蔵」の裏物語である「四谷怪談」が出てくる訳です。
裏にある物語を記することによって、あの事件はなんだったのか、を見ようとする。高い評価だけではなくて違う評価をしようとする。そういう芝居すら出てきた。
私はそういう意味で、鎮魂としての物語を語り継いでいくべきだろう、と思っています。
その時、生きてきた一人一人の顔、生き方が見えてくるような物語をたくさんの人がすることが大事です。何となく鎮魂、お祭りをしてしまうだけではない鎮魂の仕方、日本がやってきた鎮魂の仕方をもう一度、取り戻してほしい、という気がします。
その時、生きてきた一人一人の顔、生き方が見えてくるような物語をたくさんの人がすることが大事です。何となく鎮魂、お祭りをしてしまうだけではない鎮魂の仕方、日本がやってきた鎮魂の仕方をもう一度、取り戻してほしい、という気がします。
…もう一つ、技術について申し上げます。私は日本の技術の歴史に大変関心を持っています。桃山時代の技術、江戸時代に入る前の技術ですが、大きな二大技術がありました。鉄砲と和時計です。両方とも外国から入ってきた技術ですが、大して教わらないまま量産態勢にもっていってしまった。
時計の場合はそればかりではありませんで、日本では毎日、時刻が変わるのに合わせて時計を作り変えてしまった。
鉄砲の技術は江戸時代になってからは戦争がなくなったので鉄砲技術者はほんの少ししか残りませんでした。それに比べて時計の技術は時計師という新しい技術者を日本に生みました。この人達が時計の技術を灌漑用水の水をくみ上げるなど様々な技術に転換し、新しい日本をつくっていったのです。
「大和」は沈んだが、その技術は戦後の日本をつくってきた、と言われますが、まさに同じことが江戸時代でも起こっていました。
鉄砲、時計だけでなく織物や陶磁器、和紙、生糸そういった中で様々な職人技術を育ててきたのですが、単に趣味でやっていたのではなく、戦争がなくなった日本の経済をどのようにつくっていくか、という話題が江戸時代にあったからです。その直前まで秀吉などに見られるように戦争と海外侵略によって経済的に成り立とうという考え方とは異なります。
江戸時代は戦争を放棄して海外侵略を考えない、しかし、日本の独立を守らなければなりませんから経済を建て直さなければなりません。江戸時代に入るころの日本経済はどん底にありました。すべての資源が枯渇している。
早坂暁さんは「オーケストラのような『大和』」「技術のオーケストラとしての『大和』」と言われました。私は江戸時代を見て、戦争のための道具をつくるためのオーケストラではなく、日本の経済、技術の基礎をつくるための技術のオーケストレイションがおこなわれた、との印象を大変強く持っています。
技術は人間関係、システム、村の自治能力、教育と様々な文化が集まってできてくる。そうして作り上げた技術を戦争でない方向に持っていくことができる。そのためには、私は、技術について隠さずはっきり見る、しかも細部を見ることが大事だ、と思う。
「大和」についてこの二つのことを思っています。
時計の場合はそればかりではありませんで、日本では毎日、時刻が変わるのに合わせて時計を作り変えてしまった。
鉄砲の技術は江戸時代になってからは戦争がなくなったので鉄砲技術者はほんの少ししか残りませんでした。それに比べて時計の技術は時計師という新しい技術者を日本に生みました。この人達が時計の技術を灌漑用水の水をくみ上げるなど様々な技術に転換し、新しい日本をつくっていったのです。
「大和」は沈んだが、その技術は戦後の日本をつくってきた、と言われますが、まさに同じことが江戸時代でも起こっていました。
鉄砲、時計だけでなく織物や陶磁器、和紙、生糸そういった中で様々な職人技術を育ててきたのですが、単に趣味でやっていたのではなく、戦争がなくなった日本の経済をどのようにつくっていくか、という話題が江戸時代にあったからです。その直前まで秀吉などに見られるように戦争と海外侵略によって経済的に成り立とうという考え方とは異なります。
江戸時代は戦争を放棄して海外侵略を考えない、しかし、日本の独立を守らなければなりませんから経済を建て直さなければなりません。江戸時代に入るころの日本経済はどん底にありました。すべての資源が枯渇している。
早坂暁さんは「オーケストラのような『大和』」「技術のオーケストラとしての『大和』」と言われました。私は江戸時代を見て、戦争のための道具をつくるためのオーケストラではなく、日本の経済、技術の基礎をつくるための技術のオーケストレイションがおこなわれた、との印象を大変強く持っています。
技術は人間関係、システム、村の自治能力、教育と様々な文化が集まってできてくる。そうして作り上げた技術を戦争でない方向に持っていくことができる。そのためには、私は、技術について隠さずはっきり見る、しかも細部を見ることが大事だ、と思う。
「大和」についてこの二つのことを思っています。
よく言いますよね。日本人の美意識の中には滅びの美学がある、判官びいきがある、と。弱いものに対する美意識。弱いものこそが英雄になる、弱いものこそが神になる美意識があるのです。
なぜこの美意識が生まれたのか、を考えはじめると、非常に不思議なことで、弱さ、もろさ、壊れやすさ、を持った文化について解明した文化論はまだ出てきていない。
例えば義経がそうです。「忠臣蔵」が江戸時代に人気を集めた理由もそうです。
「忠臣蔵」の背景にある「太平記」の中で、「忠臣蔵」では浅野内匠頭ですが、塩谷判官(えんやはんがん)は本当にいじめられ、いじめられて、最後は家臣全員と共に一つの小屋に逃げて、火をつけられて一団となって焼け死ぬ、という最後を遂げる一族です。
このような悲劇的な最後を遂げる者に対して、非常に何か強いものを感じる。美意識といっていいか分かりませんが、強い感動を覚えるのは確かだろう、と思います…
なぜこの美意識が生まれたのか、を考えはじめると、非常に不思議なことで、弱さ、もろさ、壊れやすさ、を持った文化について解明した文化論はまだ出てきていない。
例えば義経がそうです。「忠臣蔵」が江戸時代に人気を集めた理由もそうです。
「忠臣蔵」の背景にある「太平記」の中で、「忠臣蔵」では浅野内匠頭ですが、塩谷判官(えんやはんがん)は本当にいじめられ、いじめられて、最後は家臣全員と共に一つの小屋に逃げて、火をつけられて一団となって焼け死ぬ、という最後を遂げる一族です。
このような悲劇的な最後を遂げる者に対して、非常に何か強いものを感じる。美意識といっていいか分かりませんが、強い感動を覚えるのは確かだろう、と思います…
「波頭」内の文章、写真、図表、地図を筆者渡辺圭司の許可なく使用することを禁止します。
問い合わせ、ご指摘、ご意見はCONTACTよりお願いします。
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