幕末の紀州藩(和歌山県など紀伊半島を所領)で下級武士の妻がつけてきた「小梅日記」に「ええじゃないか」騒動が繰り返し綴られる。小梅は1867(慶応3)年11月13日に知人から京都でまかれたというお札を見せられ、騒動の内容を日記に書いたが、その1週間後の11月20日、和歌山城下に飛び火した様子を描く。その後、小梅日記には12月で6日間、騒動を記す。特に11日からは3日間続く。
現代文読み下しは、小梅日記を楽しむ会(中村純子会長、27人)の井上泰夫会員が2020(令和2)年にまとめた「小梅日記にみる慶応3年(1867)の日々」による。
「11月20日」の項
夜前、雨が降ったが、今朝はよく晴れて、綛(かせ)の糊付けができるほどだった、と家事をしるし、「ヨイジャナイカ」の話が続く。
夜前、雨が降ったが、今朝はよく晴れて、綛(かせ)の糊付けができるほどだった、と家事をしるし、「ヨイジャナイカ」の話が続く。
―さて、京都や大坂の所々にお祓いが降ったという事だったが、今日は当地でも降り、畳屋丁(本町地区)の人が拾ったという噂を佐吉らが聞いてくる
川上辺(紀ノ川上流地域)へは獅子が降りしとか
(紀ノ川上流地域、今の岩出市、紀の川市あたりに獅子が、神社社頭の左側に狛犬と対になって置かれ、魔除けとするが、降ったという)
世の末に乱世となる時は、いろいろの怪しいことがあるが、何分にも慎んでいるより仕方がない―
川上辺(紀ノ川上流地域)へは獅子が降りしとか
(紀ノ川上流地域、今の岩出市、紀の川市あたりに獅子が、神社社頭の左側に狛犬と対になって置かれ、魔除けとするが、降ったという)
世の末に乱世となる時は、いろいろの怪しいことがあるが、何分にも慎んでいるより仕方がない―
「12月7日」の項
家事をこまごま記す。
家事をこまごま記す。
━7日はそこそこの天気。(息子)雄輔出勤、講釈を午前中にすまし、……(夫)豹蔵、昼過ぎから加納様へ行く。
雄輔は草野へ贈る足袋2足を買いに行き、1足13匁だった。金相場は116匁替えだという━
雄輔は草野へ贈る足袋2足を買いに行き、1足13匁だった。金相場は116匁替えだという━
と、家族の動きを書く。夫より息子の動静が先に出て来るところが、母親の日記らしい。
━便所の肥えを取りにくる人がもち米を持参。この間の糞尿代金700目の代わりに頂く━
━染め物で忙しかった━
━染め物で忙しかった━
糞尿が田畑の肥料として売買されていた様子がわかる。最近、江戸時代の循環型生活を評価する論評をよく見かけるが、その実際例がここにある。
続いて、和歌山城下に広がるエエジャナイカ騒動を記録する。小梅日記では「ヨイジャナイカ」との発音で記す。
━お祓い各所に降り、役所から取りに来たので渡したという。
まず川舟に落ち、一つは駿河町の大福屋に落ち、もう一つは九家ノ丁に落ちたところ、門前を掃いていた家来が何も知らずに下水道へ掃き落としたとのこと。
湊付近では一人住まいする女の家の鉢植えに落ちたので、有難いことだと云って、取り敢えず、御神酒を供えようとしたが買うお金がないので、一枚の着物を質屋に持って行って、お金を借りて、酒を買ってきてお祝いをして寝てしまった。翌朝、起きてみると、昨日質屋に持って行った着物が家に置いてある。その上、金50両も添えてあったので、大変驚き、質屋に行って事情を話し、質屋の倉を改めたところ、質物の着物を置いてあった棚には着物はなく、お金もなくなっていた。質屋共々、大変驚いているとのこと。真否不明。
この辺へ降ったお祓いは古い物だったといい、落ちるときに音がし、光ったのを大黒屋の下女が見たという。
紅屋にある手拭いの多くは「おかげ」と紅にて書き、御幣を美しく染めたり書いたりしたものが掛かっていたという。
高野近くの大津(那賀郡麻生津)というところでは、綿が降り、みな拾いに行った、と木村伊斎が云っていた━
まず川舟に落ち、一つは駿河町の大福屋に落ち、もう一つは九家ノ丁に落ちたところ、門前を掃いていた家来が何も知らずに下水道へ掃き落としたとのこと。
湊付近では一人住まいする女の家の鉢植えに落ちたので、有難いことだと云って、取り敢えず、御神酒を供えようとしたが買うお金がないので、一枚の着物を質屋に持って行って、お金を借りて、酒を買ってきてお祝いをして寝てしまった。翌朝、起きてみると、昨日質屋に持って行った着物が家に置いてある。その上、金50両も添えてあったので、大変驚き、質屋に行って事情を話し、質屋の倉を改めたところ、質物の着物を置いてあった棚には着物はなく、お金もなくなっていた。質屋共々、大変驚いているとのこと。真否不明。
この辺へ降ったお祓いは古い物だったといい、落ちるときに音がし、光ったのを大黒屋の下女が見たという。
紅屋にある手拭いの多くは「おかげ」と紅にて書き、御幣を美しく染めたり書いたりしたものが掛かっていたという。
高野近くの大津(那賀郡麻生津)というところでは、綿が降り、みな拾いに行った、と木村伊斎が云っていた━
幕末の和歌山城下に伝搬した「ええじゃないか」騒動を「小梅日記」は丹念に拾う。
「12月11日」の項
━万町の洲本屋へ金の御幣が降ったといって、人々が押し掛け、下駄、草履履きで上がり込み、酒を呑み、踊り騒いだという━
━万町の洲本屋へ金の御幣が降ったといって、人々が押し掛け、下駄、草履履きで上がり込み、酒を呑み、踊り騒いだという━
「12月12日」の項
━昨日、万町洲本屋やその向いの家にも御幣が降った。洲本屋へ沢山の人々が入り込んできて、終いに戸を閉めたという。
荷造りをしてあった柿やみかんを、お客さんに頼まれたものだから勝手にしないで下さい、と云っても、ヨイジャナイカ ヨイジャナイカといいながら散らかしてしまったという。
カブラは箱ごと踏み潰し、怒ると、ヨイジャナイカ ヨイジャナイカと踊り回って平気な顔をしていたらしい。
桶屋町の婆が炭を出していると、後ろに観音さんの御影(尊影、肖像)が降り、家の中の竃(かまど)の口にもあった。大変悦んで、門には笹を立て、小さい社を拵えて安置し、御神酒を供え、燈明を上げて、有難く拝んだ。聞き伝えた人々がたくさん拝みにやってきて賽銭を上げたという。
古着屋にて、赤い襦袢を二つ黙って盗っていく者があったので、咎めたらヨイジャナイカ ヨイジャナイカといったという。むちゃくちゃなことだが、皆は悦んでいるという。
小笠原屋敷や山田の振り出し薬(布の袋に入れたまま湯に浸し、振り動かして、その薬気を出す薬剤)を売る店へも降り、彼方此方各所にもふった。粉河の長田観音にも沢山降ったとのこと。
紅で染めた揃いの手拭が駿河町の紅屋に吊ってあるらしい━
━昨日、万町洲本屋やその向いの家にも御幣が降った。洲本屋へ沢山の人々が入り込んできて、終いに戸を閉めたという。
荷造りをしてあった柿やみかんを、お客さんに頼まれたものだから勝手にしないで下さい、と云っても、ヨイジャナイカ ヨイジャナイカといいながら散らかしてしまったという。
カブラは箱ごと踏み潰し、怒ると、ヨイジャナイカ ヨイジャナイカと踊り回って平気な顔をしていたらしい。
桶屋町の婆が炭を出していると、後ろに観音さんの御影(尊影、肖像)が降り、家の中の竃(かまど)の口にもあった。大変悦んで、門には笹を立て、小さい社を拵えて安置し、御神酒を供え、燈明を上げて、有難く拝んだ。聞き伝えた人々がたくさん拝みにやってきて賽銭を上げたという。
古着屋にて、赤い襦袢を二つ黙って盗っていく者があったので、咎めたらヨイジャナイカ ヨイジャナイカといったという。むちゃくちゃなことだが、皆は悦んでいるという。
小笠原屋敷や山田の振り出し薬(布の袋に入れたまま湯に浸し、振り動かして、その薬気を出す薬剤)を売る店へも降り、彼方此方各所にもふった。粉河の長田観音にも沢山降ったとのこと。
紅で染めた揃いの手拭が駿河町の紅屋に吊ってあるらしい━
「12月13日」の項
━(本町)七丁目の和歌屋へ御幣と大黒が降ったといって、宵に人々が店で飲み食い踊る声がしていたが、役人が出てきて、踊った者には罰金を科すといって叱った。髪結いの女房が踊っているのを、役人が𠮟ったら、女房はそんなことは云わずに一緒に踊りましょう、と云って役人の手を取ったので、一時、町預けとなった―
━(本町)七丁目の和歌屋へ御幣と大黒が降ったといって、宵に人々が店で飲み食い踊る声がしていたが、役人が出てきて、踊った者には罰金を科すといって叱った。髪結いの女房が踊っているのを、役人が𠮟ったら、女房はそんなことは云わずに一緒に踊りましょう、と云って役人の手を取ったので、一時、町預けとなった―
京都のエエジャナイカ騒動を知らせる知人酒井梅斎からの手紙を写している。
「12月18日」の項
━扨(さて)、この度の京都の騒動についてお聞き及びと思うが、なん共不思議なことで、言葉では表し難いことではあるが、一応聞き知ったことを申し上げる。
10月下旬から方々へ神札や仏像が、或いは金銀、米、銭など色々珍しい物が天から降ってきて、今まで聞いたこともない不思議な筆舌に尽くしがたいことが起こり、町人百姓はいうに及ばずお偉方まで恐れおののき、敬ってお祭りし、高価な美しい着物を着て、昼夜を分かたず踊り回る、驚くべき有様である━
「12月18日」の項
━扨(さて)、この度の京都の騒動についてお聞き及びと思うが、なん共不思議なことで、言葉では表し難いことではあるが、一応聞き知ったことを申し上げる。
10月下旬から方々へ神札や仏像が、或いは金銀、米、銭など色々珍しい物が天から降ってきて、今まで聞いたこともない不思議な筆舌に尽くしがたいことが起こり、町人百姓はいうに及ばずお偉方まで恐れおののき、敬ってお祭りし、高価な美しい着物を着て、昼夜を分かたず踊り回る、驚くべき有様である━
「12月23日」の項
―扨(さて)、この間、永穂の文吾が来て、お祓いが隣村に降ったのに私の村にはまだ降らないと云っていたが、今日たかの(文吾の娘)が、私方の近所に降り、皆が赤襦袢を着て踊るというので赤襦袢を貸してほしいと、云って来た。貸してあげる。今夕、女は男風になり、男は女風にして踊るとのこと。
夕方、お八重が来ての話。舟大工町の漬物屋にも何やら降ったので悦んでいたら、それは狐であって弟の息子にとりついた。親類の森屋某が来て、手足をくくりつけ、線香に火をつけてくすべたら、狐は息子から離れていったが、こん度は兄嫁にとりついたとのこと。また、中橋筋の何という店屋かは知らないが、そこの妻にとり憑いた。そして、この二人が道で出あったときに、漬物屋の兄嫁が土下座をしたという。これは中橋筋の妻に取り憑いた狐の官位が高かったからだという。
また、本町3丁目の袋物などを売っている白玉という店の息子にも狐がとりついた。家中の者がお題目を唱えてお祈りすると、狐は連れて行った息子を返してくれたが、阿呆のようになっていたという。
休賀町(現北・南休賀町)にもそのような者がおって、御用があるといって外へ出たがったが、女の衣装を着せたら行かなくなった。
また、最近各家の門に笹を立てるようになった。そのわけは、26日に大風が吹くが門に笹を立てて置けば被害はないという噂があったからだ。
誠に聞く事見る事全てが古今未曾有の事ばかりだ━
―扨(さて)、この間、永穂の文吾が来て、お祓いが隣村に降ったのに私の村にはまだ降らないと云っていたが、今日たかの(文吾の娘)が、私方の近所に降り、皆が赤襦袢を着て踊るというので赤襦袢を貸してほしいと、云って来た。貸してあげる。今夕、女は男風になり、男は女風にして踊るとのこと。
夕方、お八重が来ての話。舟大工町の漬物屋にも何やら降ったので悦んでいたら、それは狐であって弟の息子にとりついた。親類の森屋某が来て、手足をくくりつけ、線香に火をつけてくすべたら、狐は息子から離れていったが、こん度は兄嫁にとりついたとのこと。また、中橋筋の何という店屋かは知らないが、そこの妻にとり憑いた。そして、この二人が道で出あったときに、漬物屋の兄嫁が土下座をしたという。これは中橋筋の妻に取り憑いた狐の官位が高かったからだという。
また、本町3丁目の袋物などを売っている白玉という店の息子にも狐がとりついた。家中の者がお題目を唱えてお祈りすると、狐は連れて行った息子を返してくれたが、阿呆のようになっていたという。
休賀町(現北・南休賀町)にもそのような者がおって、御用があるといって外へ出たがったが、女の衣装を着せたら行かなくなった。
また、最近各家の門に笹を立てるようになった。そのわけは、26日に大風が吹くが門に笹を立てて置けば被害はないという噂があったからだ。
誠に聞く事見る事全てが古今未曾有の事ばかりだ━
舟大工町といった地名は今も続き、住居表示の看板が出ている。舟大工町は今の南海和歌山市駅の南すぐ近くに所在。和歌山城からは北に約1キロにある。今は交通量が多い道路が走るが、小梅日記を読めば、約150年前、明治維新直前の冬、狐がついた、との話が広まる姿が目に浮かぶ。これも小梅日記に記録があるからこそのことだ。
翻って戦艦大和の記録を考える。私が1990年に広島県呉市に朝日新聞記者として赴任した時、呉市で建造された戦艦大和に関する記録を求めた。しかし、戦艦大和の設計図や公的な記録は敗戦処理として焼却されていた。
戦後、大和の建造関係者が個人的なメモや記憶を頼りにまとめた資料が3点あった。
「戦艦大和・生涯の技術報告」=松本喜太郎著1952(昭和27)年・再建社刊
「海軍造船技術概要」=牧野茂、福井静夫編、造船会協力、1987(昭和62)年、今日の話題社刊
「軍艦大和の砲熕兵装」=大谷豊吉1953((昭和28))年、自家出版。
この3冊を手掛かりに呉の地でかっての工員、水兵の聞き書きを重ねた。
戦後、大和の建造関係者が個人的なメモや記憶を頼りにまとめた資料が3点あった。
「戦艦大和・生涯の技術報告」=松本喜太郎著1952(昭和27)年・再建社刊
「海軍造船技術概要」=牧野茂、福井静夫編、造船会協力、1987(昭和62)年、今日の話題社刊
「軍艦大和の砲熕兵装」=大谷豊吉1953((昭和28))年、自家出版。
この3冊を手掛かりに呉の地でかっての工員、水兵の聞き書きを重ねた。
「波頭」内の文章、写真、図表、地図を筆者渡辺圭司の許可なく使用することを禁止します。
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