波頭064
 

Ⅲ部 建造 38

戦争の足音

 全文削除となった1937(昭和12)年9月号「改造」の巻頭論文、大森義太郎「飢ゆる日本」は労農派の最後を飾る記念碑的論文であった━
と、「雑誌『改造』の四十年」は位置づける。(同誌155ページ)
1920年代末から30年代にかけての約10年間、共産党系の講座派と非共産党系の労農派と間で日本資本主義論争が繰り広げられた。
大森義太郎(よしたろう1898-1940)は横浜市出身。東京帝国大学経済学部卒。東大助教授時代から才気あふれる文章でマルクス主義を論じ、論壇の花形となった。三・一五事件で大学を辞職した後も労農派の論客として活躍したが、1937(昭和12)年、人民戦線事件で検挙され、病気のため保釈されたが、病没。(小学館刊「日本大百科全書ニッポニカ」)
雑誌「改造」は1919(大正8)年創刊の総合雑誌。大正デモクラシーの論調をとり、社会問題や社会主義思想に関する論文を掲載。戦前昭和の軍国主義にマルクス主義の立場から批判を続けたが、1944(昭和19)年6月、「横浜事件」による言論弾圧で解散した。戦後、復活したが、1955(昭和30)年2月号で廃刊。講座派対労農派の日本資本主義論争や志賀直哉「暗夜行路」など後に日本文学の名作となる小説を次々と掲載、定価1円という安価な現代日本文学全集を発行し、円本時代という社会現象を引き起こした。アインシュタインら海外の著名人を招いて日本国内で講演会を開くなど山本実彦社長の絶えず話題をつくる手法が多くの若者をとらえた。(ニッポニカから)
 同じ月の「中央公論」が矢内原忠雄の「国家の理想」を掲載して、全文削除されたのとともに、「国策」に対する一切の批判的論調は許さない、とする当局の示威であった。(同誌155ページ)
1953((昭和28))年5月号の「改造」表紙。表紙の体裁は創刊号からほぼ同じ。
1953((昭和28))年5月号の「改造」表紙。表紙の体裁は創刊号からほぼ同じ。
 前回の波頭063で触れたが、「大呉市民史昭和編(中巻一)」1937(昭和12)年7月の呉駅頭雑誌取り締まりの項で、総合雑誌「改造」「中央公論」のライバル2誌が呉市で各千部以上も出ている言論情況がわかる。当時の呉市人口は約24万7千人だから、両誌はそれぞれ約250人に1部あたりが売れていた勘定だ。軍港の町で社会主義を主な論調とする総合雑誌の部数が意外と多いのではないか、と思う。
1937(昭和12)年の呉海軍工廠の工員数は約3万8千人。(呉市史第六巻268ページ)。その中核は20代の若者だ。向学心、向上心に燃える若者が両誌を手に取ったのだろう。
 1936(昭和11)年12月31日、ワシントン海軍軍縮条約が失効。無条約時代となり、建艦競争が始まった。海軍省は1937(昭和12)年度から始まる5ヵ年計画で第三次海軍軍備補充計画を立てた。通称マル三計画と呼ばれる。
66隻を建造するが、その中心が新戦艦2隻で、一号艦が呉工廠で起工された。戦艦大和だ。
新海軍に対応するため、制度、組織のあらゆる面が見直された。
水兵の人数確保のため1941(昭和16)年7月、採用年齢の下限を1歳引き下げ、「15歳以上」とした。大海軍の中堅幹部を育成するため、長期的視野に基づく水兵教育制度だ。
余談だが、採用年齢は1942(昭和17)年8月、「14歳以上」に下がる。戦争で水兵の戦死者が増え、補充するためだ。中堅幹部育成の前に消耗品扱いとなった。「海軍特別年少兵」、特年兵と呼ばれた。ジュネーブ条約の「少年兵は15歳以上」に違反するが、機密令達の扱いで表面化しなかった。
 新海軍対応は建艦の現場である工廠でも徹底された。
1936(昭和11)年7月1日、新たに「海軍工廠令」が制定された。
1937(昭和12)年6月21日、呉工廠は新たに工務規則、服務細則を定めた。作業服、帽子を制定、敬礼を挙手に統一した。従来の職工は工員となり、一等工員、二等工員と身分を分けた。軍隊組織に準じた組織に改編していった。
 呉海軍工廠で砲身製造の現場、砲熕部製図工場の工員客野源太郎が1937(昭和12)年につくった歌は

新しく工場規則が定められ中央公論も改造も禁止せられぬ

短歌会の呉アララギ会所属で歌作に励む青年客野のこの歌は、アララギ年刊歌集第十四(昭和十二年度)に所収された。➀
雑誌アララギに掲載された1年間の歌から作者が10首選び、斎藤茂吉と土屋文明が選者となって3首を選ぶ。客野の歌は中央の歌壇に取り上げられた。
軍事工場で働く若い工員の歌に茂吉や文明は戦争の足音を聞いたのだろう。

 同時期の客野の歌作を並べる。➁
1936(昭和11)年
午後四時頃装ひし女工等の歸る様を我々は常のごと窓ゆ覘きぬ
1937(昭和12)年
鑽孔機めぐれる部屋に仕事しつつ折ふし頭の冴え来ることあり
1938(昭和13)年
いきどほりわが入りてゆく部屋の中火花散りつつ研磨機めぐる
おのづから心なぎくる夕ぐれを今日の仕事にわが怒りたり
➀アララギ年刊歌集第十四(昭和十二年度) アララギ同人編1938(昭和13)年10月15日、岩波書店刊。同書によると、出詠者は986人、歌数は9800余首あり、そのうちより2823首が選ばれ、掲載された。
➁呉アララギ会の坪田孟資料から

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