Ⅲ部 建造 波頭052 Ⅲ部 建造 26 儒者の金策 2021年1月21日 紀州藩藩校儒者の妻、川合小梅がつけた「小梅日記」には夫や息子が黒船に備えて武具を調達し、武技を調練する日々を書き、「国単位の強制」が日常生活に入り込む様子を描いている。戦前昭和の町内隣組バケツリレー訓練、最近では北朝鮮ミサイル警戒のJアラート、直近では新型コロナ禍の緊急事態宣言と国レベルで私生活を律する対策が出るが、その始まりは黒船にある、と小梅日記から読み取れる。 和歌山城天守閣。市街地にそびえる。戦災で焼失し、1958(昭和33)年、鉄筋コンクリート造りで再建された=2020年12月27日、和歌山市小松原通3丁目から撮影続きを読む →
Ⅲ部 建造 波頭051 Ⅲ部 建造 25 黒船 2020年10月31日 紀州藩士の妻がつけた「小梅日記」はペリー艦隊の情報を詳しく書き綴る。黒船衝撃が江戸から遠い紀州にどう伝わったか、を知る好資料だ。「黒船脅威」が日本海軍の戦艦固執を生み、その先に戦艦大和がある、とみる私は「小梅日記」に関心をもつ。 小梅日記の原本。表紙と記述部分の一部=平凡社東洋文庫256「小梅日記1」口絵から。1974(昭和49)年8月刊続きを読む →
Ⅲ部 建造 波頭050 Ⅲ部 建造 24 小梅日記 2020年9月30日 紀伊水道を望む和歌山市雑賀崎。崖の上に大砲を据える台場と防塁が残る。幕末、「黒船」に備えて紀州藩が造った「雑賀崎台場」だ。私はここに「なぜ、時代錯誤の大艦巨砲、戦艦大和を建造したのか」という疑問を解決する出発点を見出す。 幕末に築造した紀州藩の防塁。「黒船」をいかに脅威と感じていたか、をしのばせる=2015(平成22)年4月22日、和歌山市雑賀崎で続きを読む →