波頭004
 

I部 あしたよなあ 04

チンダイさん下

鹿児島県三島村・黒島、大里ふるさとセンターで
「のぼるチンダイさん」を踊る参加者と小中学生ら=2015年5月10日、鹿児島県三島村・黒島、大里ふるさとセンターで

 鹿児島県・三島村特攻平和祈念祭の最後に歌われる「のぼるチンダイさん」は、明治になって徴兵令により陸軍の熊本鎮台の兵役に就く若者を送り出す黒島の歌だ。
 歌詞は
別(わか)れ盃(さかづき)やぁ くるくる廻(まわ)せ
思(おも)た様女(さまじょ)には オハラハー 二度廻せ
(別れの盃はどんどん回せ 好きなおなごには二度回せ)

別(わか)れ盃(さかづき)やぁ 旨(うも)うなさ苦(にが)さ
またと会うやら オハラハー 会うめいやら
(別れの盃の酒はうまくない苦い また会えることやら 会えないかも)

……と鹿児島おはら節の節回しで唄う。
 「わらじは2足いるぞ。宿がよければいいが」と道中の安全を念ずる、妻は「心置きなく行ってきなさい。しゅうとの面倒、田をうつ仕事はまかせなさい」、父親は「どーんと手柄をたててこい」、といった歌詞がどんどん続く。①
 働き手を失う悔しさ、寂しさがにじみ出る歌だ。
 明治前半、各地で徴兵反対の農民一揆が続発した。
 地租改正、国民皆兵と近代化を進める明治政府の方針にある者は激発し、または沈潜して不満を歌に託した。
 徴兵令反対の動きは1873(明治6)年3月から6月にかけて集中し、西日本の11地方で実力行使があった。特に5月26日から6月1日にかけて岡山県の美作地方では150戸が破壊され、277戸が焼失。15人が死刑となり、処罰された者は2万6000人にものぼった。②
 黒島の「のぼるチンダイさん」は当時の人々の気持ち、徴兵に反対だがお上に逆らえない、今できることは別れの辛さを共有しよう、を伝えているように私には聞こえた。取材した地元の日高康雄さんも同意してくれた。
 今や「のぼるチンダイさん」を歌い、踊ることのできる人は年々減り、その機会は、特攻平和祈念祭の宴の場だけになった。見よう見まねで踊りの輪に入ると、明治以来の徴兵、兵役に苦しんだ島民の気持ちを伝える歌と踊りは特攻隊員がつないでいる、と思った。
 戦艦大和の取材を続けていると、明治以降の日本人の葛藤を物語る場面に度々出遭うが、「のぼるチンダイさん」はその一つだ、と私は感じた。戦艦大和の取材は日本の近代化を探る一つの道だと確信した。
 黒島の人口は、特攻隊員が不時着した時は約500人いた。2018年6月1日現在で95世帯168人に減少している。③
① 黒島在住の日高康雄さんに取材
② 青木虹二「明治農民騒擾の年次的研究」1967年2月新生社刊▽後藤靖 岩波講座日本歴史14近代1「士族叛乱と民衆騒擾」1975年8月岩波書店刊▽岩井忠熊 岩波講座日本歴史15近代2「軍事・警察機構の確立」1976年1月岩波書店刊
③ 三島村ホームページ「村の概要」から

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