戦艦大和を隠した大屋根は美しい曲線を描く鉄骨で支えられていた。

少しでも長く機密を保てば、それだけ優位保持の時期が長くなる━
が大屋根を被せた理由だ。
戦艦大和の設計陣の1人だった牧野茂氏らがかっての軍艦設計者の記憶と手持ちの資料を基に作成した「海軍造船技術概要」の上巻83ページに「造船船渠渠上に上屋を設ける」理由を説明している。
「船渠」はドックのこと。
…本艦(戦艦大和)の船の大きさが外に漏れると、その主砲の大きさ、数等も察知されるので、極力機密に保つ必要があった。
機密保持は本艦の勢力を対米優位に置くに絶対に必要なことで、少しでも長く機密を保てば、それだけ優位保持の時期が長くなるという考え方からして、この目的のためあらゆる方法が採られた。一方、機密保持のためには工事上の不利不便が大であった。
そのため造船船渠の四周には目隠しの塀を設け、附近の山上より視認されぬよう、網等を垂らしたが、なお不十分であったので、船渠渠頭付近、艦の長さの約四分の一の部分に上屋を設けた。これは目隠し用であったが、雨や風を防ぎ、夏は日光の直射を防ぎ、工事上有利であった。…
が大屋根を被せた理由だ。
戦艦大和の設計陣の1人だった牧野茂氏らがかっての軍艦設計者の記憶と手持ちの資料を基に作成した「海軍造船技術概要」の上巻83ページに「造船船渠渠上に上屋を設ける」理由を説明している。
「船渠」はドックのこと。
…本艦(戦艦大和)の船の大きさが外に漏れると、その主砲の大きさ、数等も察知されるので、極力機密に保つ必要があった。
機密保持は本艦の勢力を対米優位に置くに絶対に必要なことで、少しでも長く機密を保てば、それだけ優位保持の時期が長くなるという考え方からして、この目的のためあらゆる方法が採られた。一方、機密保持のためには工事上の不利不便が大であった。
そのため造船船渠の四周には目隠しの塀を設け、附近の山上より視認されぬよう、網等を垂らしたが、なお不十分であったので、船渠渠頭付近、艦の長さの約四分の一の部分に上屋を設けた。これは目隠し用であったが、雨や風を防ぎ、夏は日光の直射を防ぎ、工事上有利であった。…

大屋根は大和起工の前年、1936(昭和11)年に取り付けられた。
屋根の長さは101.8m、斜辺35.1m、屋根自身の高さは15m。屋根の面積は約7千平方m。
ドックから屋根の稜線までの高さは49.5m、ドックの幅は63.5m。➀
大和は全長263mだから大屋根は大和の半分近くを覆った。
大屋根の広さは野球場の内、外野の約7割ほどだ。屋根の長さは、プロ野球広島カープの本拠地、MAZDAスタジアムの左翼線とほぼ同じ。山本浩二、衣笠祥雄が蘇っても、菊池涼介、丸佳浩、鈴木誠也の3人がまたそろっても、十分に活躍できる空間でもある。
1993(平成5)年夏、この造船ドックが埋め立てられた。所有する石川島播磨重工業(IHI)が造船から航空機エンジン方面へ多角化を図るため、という話だった。
大和ゆかりの場所が消えていく寂しさはあったが、大屋根は残った。同年夏の埋め立て安全祈願式を取材の際、大屋根の下を撮影した。屋根の稜線部分を支える桁は曲線を描いていた。力学上の要請から出た曲線だろうが、優美なシルエットを生み出し、屋根全体を軽やかに浮かしている感じを受けた。
日本の寺社仏閣の屋根の反りがもたらす軽快感と通じる造形美だとも思った。
戦艦大和はこの屋根の下で建造されたのだ。
戦艦大和を調べていくうちに、日本の美意識が宿っている所が見つかる。軍艦としての戦績から酷評され、時代遅れなどと批判されながら日本人は戦艦大和に惹き付けられるのは、日本人好みの造形美があるのだろう。
危険な情緒と知りながら、戦艦大和に近づく自分がいる。
屋根の長さは101.8m、斜辺35.1m、屋根自身の高さは15m。屋根の面積は約7千平方m。
ドックから屋根の稜線までの高さは49.5m、ドックの幅は63.5m。➀
大和は全長263mだから大屋根は大和の半分近くを覆った。
大屋根の広さは野球場の内、外野の約7割ほどだ。屋根の長さは、プロ野球広島カープの本拠地、MAZDAスタジアムの左翼線とほぼ同じ。山本浩二、衣笠祥雄が蘇っても、菊池涼介、丸佳浩、鈴木誠也の3人がまたそろっても、十分に活躍できる空間でもある。
1993(平成5)年夏、この造船ドックが埋め立てられた。所有する石川島播磨重工業(IHI)が造船から航空機エンジン方面へ多角化を図るため、という話だった。
大和ゆかりの場所が消えていく寂しさはあったが、大屋根は残った。同年夏の埋め立て安全祈願式を取材の際、大屋根の下を撮影した。屋根の稜線部分を支える桁は曲線を描いていた。力学上の要請から出た曲線だろうが、優美なシルエットを生み出し、屋根全体を軽やかに浮かしている感じを受けた。
日本の寺社仏閣の屋根の反りがもたらす軽快感と通じる造形美だとも思った。
戦艦大和はこの屋根の下で建造されたのだ。
戦艦大和を調べていくうちに、日本の美意識が宿っている所が見つかる。軍艦としての戦績から酷評され、時代遅れなどと批判されながら日本人は戦艦大和に惹き付けられるのは、日本人好みの造形美があるのだろう。
危険な情緒と知りながら、戦艦大和に近づく自分がいる。
➀1993年当時の石川島播磨重工業呉事業所広報課調べ。

