1937(昭和12)年2月に高塀建設の測量が始まったというから、戦艦大和の起工の約10か月前。戦艦大和を隠すのが目的だったのだろう。その支柱が今も残る。

2014年4月7日、久しぶりに広島県呉市の呉海軍墓地である戦艦大和慰霊祭を取材した。前日の同6日、JR広島駅からJR呉線で呉市に向かう。車窓から右手を見ると、ずーと狭い海域が続く。対岸は江田島だ。かって戦艦大和はこの狭い水道を往来していたのか、とその姿を想像する。
電車は約30分後、新宮トンネルを抜けると、呉市街地に入る。呉湾の一番奥まった沿岸にはクレーンが林立し、修理、点検の大型貨物船が碇泊し、海上自衛隊の艦船が行き来していた。戦前では呉軍港が一望できる一帯だ。
呉駅の一つ手前の駅が川原石駅だ。この駅に着く前に線路わきから突き出ているコンクリート柱が何本か見える。かっての秘密都市を伝える遺構だ。車窓から軍港が見えないように高塀を立てたが、その支柱だ。その支柱が今も残っている。2024年2月にも現存を確認した。
電車は約30分後、新宮トンネルを抜けると、呉市街地に入る。呉湾の一番奥まった沿岸にはクレーンが林立し、修理、点検の大型貨物船が碇泊し、海上自衛隊の艦船が行き来していた。戦前では呉軍港が一望できる一帯だ。
呉駅の一つ手前の駅が川原石駅だ。この駅に着く前に線路わきから突き出ているコンクリート柱が何本か見える。かっての秘密都市を伝える遺構だ。車窓から軍港が見えないように高塀を立てたが、その支柱だ。その支柱が今も残っている。2024年2月にも現存を確認した。
当時、呉市で発行された中国日報の記事をもとに編集した「大呉市民史昭和編(中巻)」の1937(昭和12)年の項には高塀に関する記述がある。➀
鉄道線路の遮蔽
1937(昭和12)年2月、新宮トンネルの入り口から港町小学校の間、855m、海軍で測量中。4月、高塀を張りめぐらして列車上より軍港内を見せぬつもり。このため、踏切を横断するのに左右の見通しが困難となり、特に児童に危険。自動警報器の設置方を陳情……
1937(昭和12)年2月、新宮トンネルの入り口から港町小学校の間、855m、海軍で測量中。4月、高塀を張りめぐらして列車上より軍港内を見せぬつもり。このため、踏切を横断するのに左右の見通しが困難となり、特に児童に危険。自動警報器の設置方を陳情……
6月、(高塀の)照り返しで列車内は蒸しぶろ。乗客うだる。呉駅助役のもとに「なんとかしろ」の陳情や投書があり、田代駅長「暑さに向かうと乗客の困却も察せられる。対応策についてはまだ何も考えていない」

右は、左写真と同じ場所の現在=広島県呉市西塩屋町で2024年2月26日撮影
1933(昭和8)年3月、満州事変が原因で日本は国際連盟を脱退し、1936(昭和11)年12月31日、ワシントン海軍軍縮条約が失効。英米と建艦競争に入った。軍港呉市では年ごとに機密保持の施策が強まった。
列車から軍港を見ないようにと移動憲兵が乗り込み、山ではカメラを持ったり、絵を描いたりすることが禁じられた。
スパイ防止策は戦艦大和を起工した1937(昭和12)年、頂点に達した。
同じ年の1937(昭和12)年7月7日、中国・廬溝橋で日中両軍が衝突したころから、「スパイを見た」と市民が次々と届けるようになった。
「大呉市民史昭和編(中巻)」の1937(昭和12)年の項をひもとく。
事変下防諜活発化
7月17日、(宮島の)絵の島海水浴場で呉工廠工員(22)が遊泳中、混血児らしい男が、要塞地帯の厳島神社大鳥居付近などをカメラに収めているのを発見。呉憲兵分隊に届け出。……実家に帰省中の日系米人(28)……スパイ容疑は発見されなかったが、無許可撮影で送致。発見工員は工廠長表彰。
列車から軍港を見ないようにと移動憲兵が乗り込み、山ではカメラを持ったり、絵を描いたりすることが禁じられた。
スパイ防止策は戦艦大和を起工した1937(昭和12)年、頂点に達した。
同じ年の1937(昭和12)年7月7日、中国・廬溝橋で日中両軍が衝突したころから、「スパイを見た」と市民が次々と届けるようになった。
「大呉市民史昭和編(中巻)」の1937(昭和12)年の項をひもとく。
事変下防諜活発化
7月17日、(宮島の)絵の島海水浴場で呉工廠工員(22)が遊泳中、混血児らしい男が、要塞地帯の厳島神社大鳥居付近などをカメラに収めているのを発見。呉憲兵分隊に届け出。……実家に帰省中の日系米人(28)……スパイ容疑は発見されなかったが、無許可撮影で送致。発見工員は工廠長表彰。
児童も防諜活動
港町校6年生3名が川原石波止場で遊んでいると、2人連れの男が来て、港内を展望、少年たちに向かって軍艦の名や出港先を聞いたので怪しいと尾行、呉駅にいたり、居合わせた憲兵に告げ、直ちに両名引致さる。ハワイ生まれの日系米人(28),、同(19)で、スパイ容疑は頑強に否定。少年3名は校長から表彰。
この年の11月には職業別の防諜団が結成された。
「まず飲食街で芸者や料理屋関係者ら約640人で花園防団、女給ら約300人で桜防諜団ができた」
港町校6年生3名が川原石波止場で遊んでいると、2人連れの男が来て、港内を展望、少年たちに向かって軍艦の名や出港先を聞いたので怪しいと尾行、呉駅にいたり、居合わせた憲兵に告げ、直ちに両名引致さる。ハワイ生まれの日系米人(28),、同(19)で、スパイ容疑は頑強に否定。少年3名は校長から表彰。
この年の11月には職業別の防諜団が結成された。
「まず飲食街で芸者や料理屋関係者ら約640人で花園防団、女給ら約300人で桜防諜団ができた」
➀弘中柳三編・大呉市民史昭和編(中巻)173ページ=1976(昭和51)年10月、呉市立図書館内「大呉市民史」刊行委員会刊
➁2026年3月3日付波頭060「目隠し次々」の写真を再掲載

