波頭002
 

I部 あしたよなあ 02

「薫風に平和を祈る掌(たなごころ)」
 中学生のこの句に教えられた。
2010年黒島特攻平和祈念祭 鹿児島県三島村・黒島で
2010年の黒島特攻平和祈念祭では中学3年日高荘一郎君が、地元小中学生の平和俳句献詠を代表して詠んだ=2010年5月8日、鹿児島県三島村・黒島で

 私は2010(平成22)年の三島村特攻平和祈念祭を取材した。祈念祭は観音像を中心に執り行われる。特攻平和観音という。
 大里中学3年日高壮一郎君は式次第の一つ、平和俳句献詠でこの句を詠み上げた。
 観音像は開聞岳に向かって右手の手のひらを差しだしている。私は、観音様は特攻機の乗員を模し、開聞岳に平和を呼びかけている句だと理解した。
 が、壮一郎君は「この掌は、観音様に手を合わせる僕の掌です」と答えた。
 瞬間、村長が乗船時にあいさつした「人が住み続ける島が私の使命」が伏線となって思い出された。
 拝む人がいて観音様なのだ。無人島で観音様がいくら手を差し伸べても、特攻の悲しみは伝わらない。
 悲しむ人がいてこそ、悲しみを伝える人がいてこそ特攻の兵をしのび、平和を訴えることができる―村長のあいさつと中学生の句に感銘を受けた。
 菊水作戦の期間中、黒島に特攻機4機が不時着し、乗員6人が島民の保護を受けた。2004(平成16)年5月、当時の乗員2人が島民に感謝と、この島の上空を飛び去った特攻隊員を追悼する思いを形にしようと島の山腹に観音像を建立し、地元大里地区と共に三島村特攻平和祈念祭を始めた。①
 傍らにある「建立の由来」碑には
 ……特攻機の多くは、トカラ列島に待ち構える敵戦闘機を避け、南薩山川より黒島経由進路二一五度で南下、沖縄の西側海面から突入したが、途中この黒島冠岳上空で、水平線上に遠ざかる秀峰開聞岳を見返り、万感の思いで内地と訣別し、祖国の安寧平和を祈り、親兄弟の多幸を念じて、大海原の雲流れる果てに敢然と征き、祖国の危急に準じた。……
 と特攻隊員の心情を述べる。
 書いた人は江名武彦さん。1945(昭和20)年5月11日、鹿児島県内の海軍串良基地から特攻出撃した。学徒出陣の22歳。エンジン不調で途中で引き返すこと2回。2回目は黒島に不時着した。島には3ヶ月滞在した。戦後は神奈川県川崎市に住み、食品会社に勤めた。
 江名さんは三島村特攻平和祈念祭を立ち上げた人で、同祈念祭の日取りは江名さんが不時着した5月11日に直近の土曜日と決めている。
鹿児島県三島村・黒島で
江名武彦さん。乗っていた海軍特攻機が黒島に不時着。戦後、同島に特攻平和観音像を建立し、特攻平和祈念祭を地元と共に開いてきた=2010年5月8日、鹿児島県三島村・黒島で

① 船賃、一泊宿泊費、歓迎の宴など参加に必要な費用は約2万円以内。三島村定住促進課(099-222-3141)へ4月20日ごろまでに申し込む。

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