…追いはぎが多い。困窮した人が食べ物の余りを手桶にもらい、ためて帰る所を、待ち受けて、そのめしを取る人があらわれたそうだ。大小さしたる人だという…
紀州藩和歌山城下(今の和歌山市)で藩校詰め儒者の妻川合小梅が幕末の世相を描き綴った「小梅日記」1861(万延2)年2月5日付の項。➀
困窮した民が施しの粥を受け取って帰るところを侍に奪われた、という話だ。武士の矜持が失われてきた。明治維新7年前の出来事だ。
「武士の追いはぎ」は「小梅日記を楽しむ会」の2017(平成29)年3月3日の例会で中村純子会長が紹介した。同会は和歌山市で活動している。
「うわさ話あれこれ」と題した発表で、そのほかは1853(嘉永6)年から1867(慶応3)年までの足かけ14年間で11件拾う。
困窮した民が施しの粥を受け取って帰るところを侍に奪われた、という話だ。武士の矜持が失われてきた。明治維新7年前の出来事だ。
「武士の追いはぎ」は「小梅日記を楽しむ会」の2017(平成29)年3月3日の例会で中村純子会長が紹介した。同会は和歌山市で活動している。
「うわさ話あれこれ」と題した発表で、そのほかは1853(嘉永6)年から1867(慶応3)年までの足かけ14年間で11件拾う。
具足お試し=1853(嘉永6)年12月1日付
…このたび、江戸にて具足の強さを試すため、囚人10人に着せ、鉄砲で撃った。具足を通らなかったが死んだ者がいた。10人のうち3人は死ななかったという。本当かどうかは知らない。…
…このたび、江戸にて具足の強さを試すため、囚人10人に着せ、鉄砲で撃った。具足を通らなかったが死んだ者がいた。10人のうち3人は死ななかったという。本当かどうかは知らない。…
ペリー艦隊の‘‘黒船’’が神奈川・浦賀沖に来航して約半年後にあたる。鎧兜の強さを知るため、鉄砲で人体実験をしたという江戸からの情報を書いている。
黒船ショックを物語る逸話だ。
黒船ショックを物語る逸話だ。
子殺し=1859(安政6)年11月17日付
…木村良右衛門という人、元は木村良建という坊主で、だんだんと出世した。この人の子どもの出来が悪く、囲いに入れていた。それでもよろしくないと槍で突き殺した。今晩、葬式だという。…
…木村良右衛門という人、元は木村良建という坊主で、だんだんと出世した。この人の子どもの出来が悪く、囲いに入れていた。それでもよろしくないと槍で突き殺した。今晩、葬式だという。…
困窮=1861(万延2)年 2月5日付
清蔵の話では、今来る途中、田井ノ瀬の河原に三十位の女二人倒れていた。哀れな事だが仕方ない、と見ていると、渡し守が弁当を食べさせていた。今一人は疲れがひどく見えた。先に食べさせれば死ぬ事はないのだが、一度はやったが、その後は助け合うとはなく、困っていた、という話だった。…
清蔵の話では、今来る途中、田井ノ瀬の河原に三十位の女二人倒れていた。哀れな事だが仕方ない、と見ていると、渡し守が弁当を食べさせていた。今一人は疲れがひどく見えた。先に食べさせれば死ぬ事はないのだが、一度はやったが、その後は助け合うとはなく、困っていた、という話だった。…
同7月7日付
一昨夜、川上より水、にわかに来て、河原にいた乞食十四、五人流され、三、四人は助けたが、十人は死んだという。水はよほどでたらしい。
一昨夜、川上より水、にわかに来て、河原にいた乞食十四、五人流され、三、四人は助けたが、十人は死んだという。水はよほどでたらしい。
とらの見世物=1864(文久4)年7月24日付
…この節、とらの見世物を林せん寺で今日より始まるはずが、……とらも実物にあらず、からくり細工物という。本当のところはわからない。
寺社の人の話では、舟でとらは連れてこられ、近く林泉寺にてみせるはず。先に人を舟で見せた。誠に強きかねで囲い、錠をおろしていた。かぎをもっている人が留守なので、わたしども船頭では見せることはできないという。小鳥も見せるという。その鳥はそこいらにいるものだ。とら、この暑き時分に錠をおろした中におとなしく居るところは作り物と思われるとの話もある。日に鶏三羽食べるという。…
…この節、とらの見世物を林せん寺で今日より始まるはずが、……とらも実物にあらず、からくり細工物という。本当のところはわからない。
寺社の人の話では、舟でとらは連れてこられ、近く林泉寺にてみせるはず。先に人を舟で見せた。誠に強きかねで囲い、錠をおろしていた。かぎをもっている人が留守なので、わたしども船頭では見せることはできないという。小鳥も見せるという。その鳥はそこいらにいるものだ。とら、この暑き時分に錠をおろした中におとなしく居るところは作り物と思われるとの話もある。日に鶏三羽食べるという。…
密通=1867(慶応3)年5月2日付
…先月25日の事だが、左京様の家士落合という人の娘が富田の家来と密通していると娘の親に知らせる者がいた。親はこれを避けようと娘を他の場所へかくまい、しばらくして戻した。そこへ男が娘にあわせてくれとやってきた。
問答を重ねるうちに男は刀を抜く構えを見せたので、落合は先に切りつけた。落合の息子は傍らから槍を出して、突き殺した。…
…先月25日の事だが、左京様の家士落合という人の娘が富田の家来と密通していると娘の親に知らせる者がいた。親はこれを避けようと娘を他の場所へかくまい、しばらくして戻した。そこへ男が娘にあわせてくれとやってきた。
問答を重ねるうちに男は刀を抜く構えを見せたので、落合は先に切りつけた。落合の息子は傍らから槍を出して、突き殺した。…
そのほか、雷、発狂、火事、泥棒、狐つきなどいつの時代でも世相の興味を引くテーマが並ぶ。
「うわさ話あれこれ」の「うわさ」は虚言、デマの類ではなく、印刷物や公共の電波に乗ったニュースと同じく根拠のある情報だが、伝達が個人間であった、という意味で使った。
ペリー黒船が1853(嘉永6)年に来航した後、交渉の末、幕府は翌年、開国に踏み切った。生糸の輸出が増え、物価高騰を招いた。金銀比率の不均衡を外国商人につかれ、金が流出。インフレを招き、物価高をさらに押し上げた。
ペリー来航から明治維新に至る15年間、「開国不況」が続き、格差が拡大した。金持ちはより豊かになり、貧民はさらに貧しくなった。
「小梅日記」は
「中より下、みな倒れる」
「米はあるのに値段は上がる」
と表現している。
「うわさ話あれこれ」の「うわさ」は虚言、デマの類ではなく、印刷物や公共の電波に乗ったニュースと同じく根拠のある情報だが、伝達が個人間であった、という意味で使った。
ペリー黒船が1853(嘉永6)年に来航した後、交渉の末、幕府は翌年、開国に踏み切った。生糸の輸出が増え、物価高騰を招いた。金銀比率の不均衡を外国商人につかれ、金が流出。インフレを招き、物価高をさらに押し上げた。
ペリー来航から明治維新に至る15年間、「開国不況」が続き、格差が拡大した。金持ちはより豊かになり、貧民はさらに貧しくなった。
「小梅日記」は
「中より下、みな倒れる」
「米はあるのに値段は上がる」
と表現している。
「小梅日記」のうわさ話は、固有名詞、数字などデータを書き込んでいる。ニュースの5W1Hを踏まえている。
日々の台所日記に社会の動きを書き足す筆力に圧倒される。好奇心が旺盛な人だったのだろうか、日々の生活が流れゆく先の不安が大きかったのか。
日々の台所日記に社会の動きを書き足す筆力に圧倒される。好奇心が旺盛な人だったのだろうか、日々の生活が流れゆく先の不安が大きかったのか。
戦後50年にあたる1995(平成7)年をはさんで前後6年間、戦艦大和を建造した広島県呉市に朝日新聞記者の筆者は赴任した。以来、「なぜ戦艦大和を造ったのか」を考え、取材を続けている。
その出発点を紀州藩和歌山城下(今の和歌山市)で藩校詰め儒者の妻川合小梅が幕末の世相を描き綴った「小梅日記」に求めた。
つながりを奇異に思われるかも知れないが、戦前昭和の軍港、呉市が「秘密都市」だった姿を知ると、「大和」が「秘密」と「行政優位」の下で建造が可能となった経緯がうかがえる。「世相を見つめ、記録した」人々があらわれた幕末の流れが表面から消えた時、「大和」が現れた、と思い当たる。
その出発点を紀州藩和歌山城下(今の和歌山市)で藩校詰め儒者の妻川合小梅が幕末の世相を描き綴った「小梅日記」に求めた。
つながりを奇異に思われるかも知れないが、戦前昭和の軍港、呉市が「秘密都市」だった姿を知ると、「大和」が「秘密」と「行政優位」の下で建造が可能となった経緯がうかがえる。「世相を見つめ、記録した」人々があらわれた幕末の流れが表面から消えた時、「大和」が現れた、と思い当たる。
➀筆者の現代語訳で紹介する。
余談 2022(令和4)年9月5日、静岡県牧之原市の認定こども園の園児送迎バスで置き去りにされた園児1人が死亡した事故を知り、思い出す人がいる。
瀬戸内海の島、広島県の大崎上島で1995(平成7)年7月に取材した元小学校教師だ。SPレコードの収集家として話を聞いているうちに、この島で小学校の先生を続けた人と知った。
元々は都会に出て活躍する希望を持つ青年だった。故郷の同島で教育実習を終え、一山越えた実家に戻った。しばらくすると、玄関前でにぎやかな子どもたちの声が聞こえた。つい先ほど教室で別れた児童たちだった。滅多に人が通らない峠道を歩いて追ってきたのだ。草鞋は破れ、傷だらけの裸足だったが、青年の顔を見ると笑顔がはじけた。
「童心」に触れた青年は翻然、教師となる。そして、定年になる少し前。遠足で引率する児童を点呼する際、数え間違いが起きるようになった。児童の安全を確保する気構えが注意散漫に負ける時が来た、と自覚し、退職した。
置き去り園児死亡事故の後、車内に監視カメラを取り付ける、園児にクラクションを鳴らす訓練を施すなどの対策が講じられているが、園児1人1人を見守る点呼がまず基本ではないか、つまり園児、児童各人の存在をいつも確認する心構えが必要ではないか、と思う。
「波頭」内の文章、写真、図表、地図を筆者渡辺圭司の許可なく使用することを禁止します。
問い合わせ、ご指摘、ご意見はCONTACTよりお願いします。
「波頭」内の文章、写真、図表、地図を筆者渡辺圭司の許可なく使用することを禁止します。
問い合わせ、ご指摘、ご意見はCONTACTよりお願いします。