当時の日本の農村は貧困の中にありましたー
長野県下伊那郡阿智村の満蒙開拓記念館に入ると先ずはこの言葉が飛び込んでくる。➀
長野県下伊那郡阿智村の満蒙開拓記念館に入ると先ずはこの言葉が飛び込んでくる。➀
展示の「一戸あたりの農家の農業収入」の棒グラフは1925(大正14)年の2504円から6年後の1931(昭和6)年には753円と三分の一に激減するという推移を表す。1929(昭和4)年に始まった世界恐慌で生糸の輸出が不振となり、天候不順の追い打ちで日本の農村は疲弊した。のちに昭和農業恐慌と言われる大不況をこのグラフは示している。
同記念館を見て回るうちに国は農村救済策として農山漁村経済更生運動を興し、それが後に満州開拓移民策となる様子が分かる。農村救済と大陸進出が一体となる満州開拓移民政策は敗戦時の集団自決や引き揚げの悲劇が結果となる。
同記念館を見て回るうちに国は農村救済策として農山漁村経済更生運動を興し、それが後に満州開拓移民策となる様子が分かる。農村救済と大陸進出が一体となる満州開拓移民政策は敗戦時の集団自決や引き揚げの悲劇が結果となる。
戦艦大和の建造費は1937(昭和12)年度予算案に計上されたが、その額は1億4287万7千円(今の価格換算だと約4200億円)。同年度の農林省予算は1億2573万千万円。➁
戦艦大和の建造費は農林省1年間の予算を上回る。しかも「大和」型戦艦は4隻計画され、うち3隻が完成した。➂
1937(昭和12)年度予算では陸軍、海軍を合わせた軍事予算が国家予算の52%を占めた。海軍は大小艦艇66隻の大艦隊構想を打ち出し、その先頭に立つのが戦艦大和だ。④
戦艦大和の建造費は農林省1年間の予算を上回る。しかも「大和」型戦艦は4隻計画され、うち3隻が完成した。➂
1937(昭和12)年度予算では陸軍、海軍を合わせた軍事予算が国家予算の52%を占めた。海軍は大小艦艇66隻の大艦隊構想を打ち出し、その先頭に立つのが戦艦大和だ。④
「農は万業の大本なり」と言ったのは二宮尊徳。「二宮翁夜話」が伝える。
「土に立つ者は倒れず 土に活きる者は飢えず 土を護る者は滅びず」は明治時代の農学者横井時敬(ときよし)の言葉だ。東京農業大学の初代学長だ。この言葉を石川県白山市西新町、手取川七ケ用水土地改良区事務所が掲げている、とインターネット検索で知った。「七たび水路を変えた」という暴れ川、手取川を灌漑する七カ用水の苦労を支えてきた言葉のようだ。
「農は国の大本(おおもと)なり」と乃木希典将軍は栃木県那須塩原市の別邸でこの言葉を発して自らスキを手にして土を耕した。日露戦争の二〇三高地で有名な軍人だ。後に乃木将軍夫妻は明治天皇の後を追って殉死。地元の人たちは乃木将軍夫妻を「土徳の神」として祀り、乃木神社を創建した。
乃木神社は東京、京都にも鎮座するが、殉死に見られる忠誠が神徳として強調される。那須の乃木神社はそれに加えて、「土徳の神」が加わる。(那須乃木神社ホームページから)
「土に立つ者は倒れず 土に活きる者は飢えず 土を護る者は滅びず」は明治時代の農学者横井時敬(ときよし)の言葉だ。東京農業大学の初代学長だ。この言葉を石川県白山市西新町、手取川七ケ用水土地改良区事務所が掲げている、とインターネット検索で知った。「七たび水路を変えた」という暴れ川、手取川を灌漑する七カ用水の苦労を支えてきた言葉のようだ。
「農は国の大本(おおもと)なり」と乃木希典将軍は栃木県那須塩原市の別邸でこの言葉を発して自らスキを手にして土を耕した。日露戦争の二〇三高地で有名な軍人だ。後に乃木将軍夫妻は明治天皇の後を追って殉死。地元の人たちは乃木将軍夫妻を「土徳の神」として祀り、乃木神社を創建した。
乃木神社は東京、京都にも鎮座するが、殉死に見られる忠誠が神徳として強調される。那須の乃木神社はそれに加えて、「土徳の神」が加わる。(那須乃木神社ホームページから)
なぜ戦艦建造に莫大な予算をつけるのか―新聞記者の私が広島県呉市に赴任し、ここで建造された戦艦大和を取材してまず浮かんだ疑問だ。誰がどう考えても農山漁村の予算が戦艦1隻の建造費に及ばない事態はおかしい。当時の日本で一番助けを求めている所は東北の農村だったはずだ。安全保障と社会保障は分野が違う、比較できない、というが、当時の農村が置かれた状況、欠食児童、娘の身売りを知れば、軍艦より娘、子どもが大事だろう。
「国の大本」は戦艦に在り、という考えの出発点は、明治維新の在り方にあるのではないか、すると明治維新を生み出した土台を知る必要がある。地方回りの一記者にとって手に余る遠大な歴史探偵だが、戦艦大和の「1億4287万7千円」は「大和」取材を始めてこの30年間、頭からこびりついて離れない。
昨今の陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」とか海上自衛隊の空母化とかのニュースを聞くと、同じことを繰り返そうとしているな、と「1億4287万7千円」がこだましてくる。
転勤した各地で江戸時代後期、1800年代にかかわる話題があると率先して取材した。「明治維新」の前史を探りたいためだ。今住む和歌山市で私ができることは、幕末紀州藩の藩士の妻が残した「小梅日記」(平凡社東洋文庫所収)を読むことだ。この女性は江戸時代末期に生きた人々の姿、考えを記録に徹して書き残している。私情を交えずに時代を見つめた日記から「草の根」の知識人がここにあり、と感動する。
➀長野県下伊那郡阿智村・満蒙開拓記念館(一般社団法人)展示資料から。同記念館は満蒙開拓団の歴史を伝える民間施設として2013年、長野県南部の下伊那郡阿智村に開館。
➁戦艦大和建造費は、松本喜太郎著、戸高一成編「戦艦大和設計と建造」96ページ=アテネ書房2000年刊から▽同建造費の現在価格の換算は、広島県呉市・大和ミュージアムが1999(平成11)年10~12月開催した戦艦「大和」展のちらし文中から▽1937(昭和12)年度農林省予算額は、財務省ホームページ「統計表一覧 明治26年度以降一般会計歳出所管別予算」から
➂「大和」型戰艦の3隻目は空母「信濃」に変更されて完成。
④日本海軍史第4巻17ページ=財団法人海軍歴史保存会編、第一法規出版1995年刊
「波頭」内の文章、写真、図表、地図を筆者渡辺圭司の許可なく使用することを禁止します。
問い合わせ、ご指摘、ご意見はCONTACTよりお願いします。
「波頭」内の文章、写真、図表、地図を筆者渡辺圭司の許可なく使用することを禁止します。
問い合わせ、ご指摘、ご意見はCONTACTよりお願いします。