紀州藩藩校儒者の妻、川合小梅がつけた「小梅日記」には夫や息子が黒船に備えて武具を調達し、武技を調練する日々を書き、「国単位の強制」が日常生活に入り込む様子を描いている。戦前昭和の町内隣組バケツリレー訓練、最近では北朝鮮ミサイル警戒のJアラート、直近では新型コロナ禍の緊急事態宣言と国レベルで私生活を律する対策が出るが、その始まりは黒船にある、と小梅日記から読み取れる。
ペリーの黒船が来航してから4ヶ月後、1853(嘉永6)年10月の小梅日記。鎧(よろい)、兜(かぶと)の代金約7万円を工面する動き、刀を磨きに出し、兜に首の後ろに付ける覆い、錣(しころ)を鍛冶屋に注文する、また、息子が鉄砲打ちの稽古を始めるが、当たらない、とてんやわんやの騒ぎが連続する。
10月23日の項では、儒者の商売道具と言っていい「十三経」を質札にして具足代金をつくろうとする動きがあった。
夫豹蔵は午後4時ごろから知人宅へ行き、午後8時過ぎに戻ってきたが、「大酔」。
その留守中に具足の入手を頼んだ遠藤一郎がやってきた。遠藤一郎は豹蔵の弟子で、同時に川合家の相談事を何かと引き受けていた。
10月23日の項では、儒者の商売道具と言っていい「十三経」を質札にして具足代金をつくろうとする動きがあった。
夫豹蔵は午後4時ごろから知人宅へ行き、午後8時過ぎに戻ってきたが、「大酔」。
その留守中に具足の入手を頼んだ遠藤一郎がやってきた。遠藤一郎は豹蔵の弟子で、同時に川合家の相談事を何かと引き受けていた。
…るす中遠藤一郎来る。
十三経(経書13種類)一ちつ(帙)持参也。
右のわけは、此間具足ととのへし代七両二歩の処へ二百五十目渡し有之。
跡は請け合い之有り候処、この度の身分に成り候に付、金かる所なく候に付、
その代わり十三経をかし申べし。
是を払成共、又は質物に入置成共致候様にと申、帰る。
具足は大阪(坂)馬具や、安兵へ方にてととのへ候よし。色々六かしく骨折
候様子、一郎咄す…
十三経(経書13種類)一ちつ(帙)持参也。
右のわけは、此間具足ととのへし代七両二歩の処へ二百五十目渡し有之。
跡は請け合い之有り候処、この度の身分に成り候に付、金かる所なく候に付、
その代わり十三経をかし申べし。
是を払成共、又は質物に入置成共致候様にと申、帰る。
具足は大阪(坂)馬具や、安兵へ方にてととのへ候よし。色々六かしく骨折
候様子、一郎咄す…
現代文に読み下す。解釈は「小梅日記を楽しむ会」の井上泰夫会員に従った。原文の()内は井上会員の補充。①
夫豹蔵の留守中に遠藤がやってきた。十三経を持参。訳を聞くと、具足代7両2分のうち手付金として250目は受け取り、残金は自分が工面してつなごうとしたが、身分が変わり、金を借りる当てがなくなった。
代わりに十三経を貸すので、これで払うか、質に入れて代金をつくってもらいたい、といって帰る。
具足は大阪の馬具屋安兵衛方で整えたとのこと。いろいろ難しく骨折りなことだ、と一郎は話していた。…
代わりに十三経を貸すので、これで払うか、質に入れて代金をつくってもらいたい、といって帰る。
具足は大阪の馬具屋安兵衛方で整えたとのこと。いろいろ難しく骨折りなことだ、と一郎は話していた。…
遠藤の金策が失敗し、次は町の金貸しに頼った。10月26日の項では小梅の名前で町の金貸しに借用書を書いた様子を述べる。
「具足代7両2分」は今の価値で約7万円相当、と見る。②
「具足代7両2分」は今の価値で約7万円相当、と見る。②
…早朝、雄助手紙認め、沼野章七をよびにやる。直ちに来る。金の事相談。帰り、直ちに六両又持参、十三経質物に入置と申候へ共、右は断。
其の代わり六両借用との一紙認めてくれよとの事に付、小梅認め渡す。
当節気(本年度)三両、跡は来年暮迄にと言約束。
二両先上田忠左衛門方へ持行、どう(胴)うたす(鎧を鍛える)代也。
跡四両は遠藤へ渡し置。右は此間迄よこしてくれたる具足代也。…③
其の代わり六両借用との一紙認めてくれよとの事に付、小梅認め渡す。
当節気(本年度)三両、跡は来年暮迄にと言約束。
二両先上田忠左衛門方へ持行、どう(胴)うたす(鎧を鍛える)代也。
跡四両は遠藤へ渡し置。右は此間迄よこしてくれたる具足代也。…③
早朝、息子の雄輔に手紙をもたせて沼野章七を呼び、金の相談をした。沼野は帰り、すぐ6両持参し、「十三経を質にいれてもらいたい」という。この件は断る。
「その代わりに6両の借用証を書いてくれ」というので小梅が書き、渡した。
本年度三両、残りは来年暮までに返す、という約束だ。
まず2両を上田忠左衛門方に持っていき、胴打ち代金とする。
残り4両は遠藤に渡す。この間、持ってきてくれた具足の代金だ。
「その代わりに6両の借用証を書いてくれ」というので小梅が書き、渡した。
本年度三両、残りは来年暮までに返す、という約束だ。
まず2両を上田忠左衛門方に持っていき、胴打ち代金とする。
残り4両は遠藤に渡す。この間、持ってきてくれた具足の代金だ。
小梅の夫、川合豹蔵、号して梅所は儒者として藩校学習館の講官を務めていた。今でいうと和歌山大学教授というところか。
梅所は後に同館督学に栄進する。大学学長に相当する地位だ。儒教の古典、十三経のうちの「左氏伝」を専門とし、「左氏春秋考徴」(三十巻)を著した。④
教授が防弾チョッキを求めている状況だ。教授の名前でサラ金に金を借りることは世間体からいってできない、と小梅が自分の名前で借用書を書いた。当時の女性が置かれた立場から考えて、金を貸す方は小梅名義に渋ったと思うが、小梅は押し切った―とその様子がうかがえる。
息子雄輔が鉄砲打ちや槍の突き合わせのけいこに励んでいる様子も記述。10月中に4日間、鉄砲のけいこに出ている。13日の項では「一つもあたらず」。全体として射撃は不成績だ。
この間、酒徳利とアジ30匹をもらい、午後10時ごろまで家の中で酒盛り(4日)、知人が午前10時ごろ、大きなタイ2匹を届け、「後ほどうかがう」とあって寿司を用意。午後4時ごろきて2時間後帰る(6日)、と忙しい毎日を記録している。
知人夫妻の不和問題にも奔走。18日の項では、離縁した妻が実家で男子を出産したので呼び戻したいと相談を受けた小梅だが、「いろいろもつれ候中に付」に頭を悩ました結果、その子を拾ったことにする、と策を講じ、もめ事を納めた。名付け親にもなった。その日は雨天で、かさを貸したり、手かごを預かったり、と「大にせわしく」と締めくくった。
紀州藩士がにわかに武具を調達し、鉄砲、槍の調練にかり出される様子から、幕府は黒船来航を砲艦外交と恐れ、全国の藩に対策をうながした、と予想される。
全国規模で黒船を恐れた様子は2020(令和2)年12月5日放映のNHKテレビ番組、ブラタモリ「白川郷なぜ美しい」内の一挿話にもうかがえた。
合掌造りの家が並ぶ集落は観光地として人気だが、この地域は戦国時代から火縄銃の火薬となる焔硝の産地だった。カイコの糞に人の小水をかけてつくる。
この焔硝を幕府が異国船対応のために手配した書類が合掌造り旧家に残っていた。
国が私生活に対し優位に立つ時代の結果がアジア・太平洋戦争であり、美しくも異形なる戦艦大和だ、と私は思う。その萌芽を「小梅日記」に見る。昨今の政治状況、2010年代から顕著となりつつある行政優位に「歴史は繰り返す」の既視感を抱く。
梅所は後に同館督学に栄進する。大学学長に相当する地位だ。儒教の古典、十三経のうちの「左氏伝」を専門とし、「左氏春秋考徴」(三十巻)を著した。④
教授が防弾チョッキを求めている状況だ。教授の名前でサラ金に金を借りることは世間体からいってできない、と小梅が自分の名前で借用書を書いた。当時の女性が置かれた立場から考えて、金を貸す方は小梅名義に渋ったと思うが、小梅は押し切った―とその様子がうかがえる。
息子雄輔が鉄砲打ちや槍の突き合わせのけいこに励んでいる様子も記述。10月中に4日間、鉄砲のけいこに出ている。13日の項では「一つもあたらず」。全体として射撃は不成績だ。
この間、酒徳利とアジ30匹をもらい、午後10時ごろまで家の中で酒盛り(4日)、知人が午前10時ごろ、大きなタイ2匹を届け、「後ほどうかがう」とあって寿司を用意。午後4時ごろきて2時間後帰る(6日)、と忙しい毎日を記録している。
知人夫妻の不和問題にも奔走。18日の項では、離縁した妻が実家で男子を出産したので呼び戻したいと相談を受けた小梅だが、「いろいろもつれ候中に付」に頭を悩ました結果、その子を拾ったことにする、と策を講じ、もめ事を納めた。名付け親にもなった。その日は雨天で、かさを貸したり、手かごを預かったり、と「大にせわしく」と締めくくった。
紀州藩士がにわかに武具を調達し、鉄砲、槍の調練にかり出される様子から、幕府は黒船来航を砲艦外交と恐れ、全国の藩に対策をうながした、と予想される。
全国規模で黒船を恐れた様子は2020(令和2)年12月5日放映のNHKテレビ番組、ブラタモリ「白川郷なぜ美しい」内の一挿話にもうかがえた。
合掌造りの家が並ぶ集落は観光地として人気だが、この地域は戦国時代から火縄銃の火薬となる焔硝の産地だった。カイコの糞に人の小水をかけてつくる。
この焔硝を幕府が異国船対応のために手配した書類が合掌造り旧家に残っていた。
国が私生活に対し優位に立つ時代の結果がアジア・太平洋戦争であり、美しくも異形なる戦艦大和だ、と私は思う。その萌芽を「小梅日記」に見る。昨今の政治状況、2010年代から顕著となりつつある行政優位に「歴史は繰り返す」の既視感を抱く。
1 和歌山市の市民団体「小梅日記を楽しむ会」(中村純子会長、27人)の2014(平成26)年11月26日例会で井上泰夫会員が発表した解説を交えて読み下す。
2 日本銀行貨幣博物館編「お金の豆知識 江戸時代の1両は今のいくら?」によると、米価換算で金1両は江戸初期は約10万円、中~後期4~6万円、幕末には約4千円~1万円。当時の緊張時を反映して甲冑相場は値上がりしたと見て、1両を1万円とした。
3 小梅の長男雄輔を小梅は日記では「雄助」の当て字を度々用いる。
4 平凡社東洋文庫256「小梅日記1」解説=東京大学史料編纂所員村田静子氏による。1974(昭和49)年刊。
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