「明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です」

長野県安曇野市(当時は池田町)出身でやはり知覧から特攻出撃した上原良司・陸軍少尉は1945(昭和20)年年5月11日の出撃前夜に書いた「所感」をこの言葉で締めくくった。
「心中満足で一杯」とは、結核で死んだ恋人に天国で会えるから、と同所感で触れている。22歳。慶応大学経済学部から学徒出陣した。
「心中満足で一杯」とは、結核で死んだ恋人に天国で会えるから、と同所感で触れている。22歳。慶応大学経済学部から学徒出陣した。

学徒出陣の戦没者の手記を編纂した「きけ わだつみのこえ」は巻頭に上原良司の「所感」を紹介する。
上原良司については、出身地の安曇野市や近くの松本市で毎年のように関連行事が開かれる。高校演劇部が取り上げる、回顧展や講演会、また地元紙が秘話を発掘する。研究書も地元から刊行されている。
長野県歴史館は戦後70年企画として「長野県民の1945―疎開・動員体験と上原良司」展を2015(平成27)年8月に開いた。長野県で戦争企画を組む時は、上原良司を取り上げないで済ますことはできないほどだ。
上原良司は1945(昭和20)年3月、特攻任務を告げられた後、同4月、休暇で故郷に帰った。実家は長野県安曇野市穂高町有明耳塚の開業医。
穂高川に架かる乳房橋を渡ると、約300メートル先に実家の病院がある。上原良司は休暇を終え、帰りの乳房橋の上で振り返り、「さようなら」を3回叫んだ。見送った母よ志江は「これまで聞いたことのない大声だった。良司は死ぬ気だな」と思った。①
北アルプスの山中から流れ出る乳川と中房川が合流した川を、二つの川の名を一字ずつ取って乳房川となった。1934(昭和9)年、この川に橋が架かり、乳房橋と名付けられた。川の名前はその後、穂高川に改まり、犀川に入る。②
乳房橋の西には北アルプスの山が連なり、4月、常念岳(標高2,857m)の中腹に常念坊と呼ばれる雪解けの模様が現れる。田植えを始める目印となる。
作家深田久弥は「日本百名山」で常念岳を「その美しい形をもって、芸術家気質(かたぎ)の人々を惹きつける」と評した。
写真家田淵行男(1905-1989)は、ピラミッドのように巨大な三角形の山容の常念岳を登り、撮り続けた。特に高山蝶を追い、その作品を集めた田淵行男記念館がふもとに立つ。
田植えを急がせる常念坊に向かい、乳房橋という官能的な名前を持つ橋の真ん中で、「さようなら」を叫ぶ上原良司、慶応大学生という都会の中流階層が持つセンス、クローチェに傾倒し、自由主義者を自任し、そして結核で死んだ恋人に会うためと言い残して乗る特攻機の機種名は飛燕。
上原良司の周辺は都会的な「青春」のイメージで縁取られるが、特攻という任務が容赦なく引き剥がす。
① 中島博昭編「あゝ祖国よ恋人よ」信濃毎日新聞社刊から
上原良司については、出身地の安曇野市や近くの松本市で毎年のように関連行事が開かれる。高校演劇部が取り上げる、回顧展や講演会、また地元紙が秘話を発掘する。研究書も地元から刊行されている。
長野県歴史館は戦後70年企画として「長野県民の1945―疎開・動員体験と上原良司」展を2015(平成27)年8月に開いた。長野県で戦争企画を組む時は、上原良司を取り上げないで済ますことはできないほどだ。
上原良司は1945(昭和20)年3月、特攻任務を告げられた後、同4月、休暇で故郷に帰った。実家は長野県安曇野市穂高町有明耳塚の開業医。
穂高川に架かる乳房橋を渡ると、約300メートル先に実家の病院がある。上原良司は休暇を終え、帰りの乳房橋の上で振り返り、「さようなら」を3回叫んだ。見送った母よ志江は「これまで聞いたことのない大声だった。良司は死ぬ気だな」と思った。①
北アルプスの山中から流れ出る乳川と中房川が合流した川を、二つの川の名を一字ずつ取って乳房川となった。1934(昭和9)年、この川に橋が架かり、乳房橋と名付けられた。川の名前はその後、穂高川に改まり、犀川に入る。②
乳房橋の西には北アルプスの山が連なり、4月、常念岳(標高2,857m)の中腹に常念坊と呼ばれる雪解けの模様が現れる。田植えを始める目印となる。
作家深田久弥は「日本百名山」で常念岳を「その美しい形をもって、芸術家気質(かたぎ)の人々を惹きつける」と評した。
写真家田淵行男(1905-1989)は、ピラミッドのように巨大な三角形の山容の常念岳を登り、撮り続けた。特に高山蝶を追い、その作品を集めた田淵行男記念館がふもとに立つ。
田植えを急がせる常念坊に向かい、乳房橋という官能的な名前を持つ橋の真ん中で、「さようなら」を叫ぶ上原良司、慶応大学生という都会の中流階層が持つセンス、クローチェに傾倒し、自由主義者を自任し、そして結核で死んだ恋人に会うためと言い残して乗る特攻機の機種名は飛燕。
上原良司の周辺は都会的な「青春」のイメージで縁取られるが、特攻という任務が容赦なく引き剥がす。
① 中島博昭編「あゝ祖国よ恋人よ」信濃毎日新聞社刊から
② 乳房橋の名前の由来は長野県安曇野市文化課の説明
「波頭」内の文章、写真、図表、地図を筆者渡辺圭司の許可なく使用することを禁止します。
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