鹿児島県三島村の黒島で不思議な話を聞いた。「戦艦大和を見た」というのだ。

戦艦大和は秘密艦で、その詳細は記録に残っていない。敗戦時、戦艦大和の建造記録は焼却か破棄されてしまった。戦後、戦艦大和は人気艦で、少ない史料をつなぎ合わせてそのイメージを再現しようと多くのマニア、研究者が競ってきた。時たま出てくる新史料は話題となる。
私も建造に従事した工員、乗組員、物陰から密かに見たという市民ら94人の証言を集めてきた。
2010年3月、黒島で「1945(昭和20)年春、黒島の沖を通過するとてつもない大きなフネと小さな駆逐艦を見た。沖縄海上特攻作戦に向かう戦艦大和の艦隊ではなかったか」と話す人がいると聞いて、私はすぐ電話した。
戦艦大和の謎にもう一歩近づけると思ったからだ。
私も建造に従事した工員、乗組員、物陰から密かに見たという市民ら94人の証言を集めてきた。
2010年3月、黒島で「1945(昭和20)年春、黒島の沖を通過するとてつもない大きなフネと小さな駆逐艦を見た。沖縄海上特攻作戦に向かう戦艦大和の艦隊ではなかったか」と話す人がいると聞いて、私はすぐ電話した。
戦艦大和の謎にもう一歩近づけると思ったからだ。
その人は黒島の大里(おおざと)地区に住む日高康雄さん(76)。
11歳だった春休みの日の思い出だ。電話で聞いた内容は具体的でしっかりしていたので「絵にしてくれないか」と頼んだ。
快諾の後、送られてきた絵を見て驚いた。
鉛筆で描かれた絵の中心には戦艦大和によく似た大きな船があり、島のそばを通ろうとしている。周辺を小さな船が取り囲むが、1隻は別の方向に向かっている。空には飛行機群が見える。
「平成22(2010)年3月16日記 昭和20(1945)年、11歳時の記憶」と題がつき、筆者名として日高康雄の名前が入る。
説明は
「黒雲垂れこむ黒島大里の沖(北北西)を西方に進む艦隊。上空には無数の飛行機が赤トンボの群れの如く飛び交っていた。雲の切れ間から太陽の光を受けて艦橋の一部が瞬時ではあるが白く光って見え、ジグザグに進む駆逐艦が異様だった」
とある。
1945(昭和20)年以降、日本の戦艦は沖縄海上特攻作戦の戦艦大和以外、外洋に出ていない。極端な燃料不足のためだ。日高さんの絵にある巨艦は戦艦大和に違いない。となると、日高さんは沖縄海上特攻作戦に向かう第二艦隊を見送ったことになる。
この絵を見てさらに取材したいと同年4月8日、黒島へ渡った。
日高さんは現役時代、島の郵便局で働いていた。日高さんに目撃現場に案内してもらい、説明を聞いた。場所は大里港から歩いて20分ほどの高さ100メートルほどのがけの上だった。日高さんの自宅からすぐ近くだ。
11歳だった春休みの日の思い出だ。電話で聞いた内容は具体的でしっかりしていたので「絵にしてくれないか」と頼んだ。
快諾の後、送られてきた絵を見て驚いた。
鉛筆で描かれた絵の中心には戦艦大和によく似た大きな船があり、島のそばを通ろうとしている。周辺を小さな船が取り囲むが、1隻は別の方向に向かっている。空には飛行機群が見える。
「平成22(2010)年3月16日記 昭和20(1945)年、11歳時の記憶」と題がつき、筆者名として日高康雄の名前が入る。
説明は
「黒雲垂れこむ黒島大里の沖(北北西)を西方に進む艦隊。上空には無数の飛行機が赤トンボの群れの如く飛び交っていた。雲の切れ間から太陽の光を受けて艦橋の一部が瞬時ではあるが白く光って見え、ジグザグに進む駆逐艦が異様だった」
とある。
1945(昭和20)年以降、日本の戦艦は沖縄海上特攻作戦の戦艦大和以外、外洋に出ていない。極端な燃料不足のためだ。日高さんの絵にある巨艦は戦艦大和に違いない。となると、日高さんは沖縄海上特攻作戦に向かう第二艦隊を見送ったことになる。
この絵を見てさらに取材したいと同年4月8日、黒島へ渡った。
日高さんは現役時代、島の郵便局で働いていた。日高さんに目撃現場に案内してもらい、説明を聞いた。場所は大里港から歩いて20分ほどの高さ100メートルほどのがけの上だった。日高さんの自宅からすぐ近くだ。

日高さんが言うには、一団のフネは水平線より手前に見えた。海岸から見える水平線までの距離は約5キロというから、100メートル高い所から見たから10キロほどの沖合にいた、と推定される。
これまでは巡洋艦、航空母艦、戦艦が通るたびに島の人間は見たものだった。しかし、この時は早朝だったのかその場では日高少年1人だった。
これまでは巡洋艦、航空母艦、戦艦が通るたびに島の人間は見たものだった。しかし、この時は早朝だったのかその場では日高少年1人だった。
異様な光景だった。これまで見たことがない型の、余りにも大きなフネがいた。その時は戦艦大和というフネかどうかはまったく知らない。
大きいフネに対して周りのフネは余りにも小さかった。その差を絵に表現した。
大きいフネには二つの背の高い構造物が立っていた。時折、雲間から朝日が射し込むと、背の高い構造物の背面が一瞬、光った。反射光だったに違いない、と日高少年が思った。
島寄りの小さなフネが2隻、右に向いたり、横を向いたりするのが不思議だった。黒島に直行してくる動きもした。「あら、あの駆逐艦は黒島に来るな」と思ったら向きを変える。
この2隻はまっすぐいかないような動きをする。ジグザグに進む。
大きなフネの向こう側に位置するフネはほぼ大艦と同じようにまっすぐ進んでいた。薄く見えたが一定の方向を保っていた。
戦艦大和の基準排水量は64,000トン、全長263メートル。海面から艦橋までの高さは約40メートル。随伴した駆逐艦は1400トン~2700トン、全長は110メートル~134メートル。高さは大和の艦腹の10メートルにも届かなかった。
「大きいフネに対して周りのフネは余りにも小さかった」という日高さんの言葉は「そうだろう」と思う。
日高さんの話は続く。
大きいフネに対して周りのフネは余りにも小さかった。その差を絵に表現した。
大きいフネには二つの背の高い構造物が立っていた。時折、雲間から朝日が射し込むと、背の高い構造物の背面が一瞬、光った。反射光だったに違いない、と日高少年が思った。
島寄りの小さなフネが2隻、右に向いたり、横を向いたりするのが不思議だった。黒島に直行してくる動きもした。「あら、あの駆逐艦は黒島に来るな」と思ったら向きを変える。
この2隻はまっすぐいかないような動きをする。ジグザグに進む。
大きなフネの向こう側に位置するフネはほぼ大艦と同じようにまっすぐ進んでいた。薄く見えたが一定の方向を保っていた。
戦艦大和の基準排水量は64,000トン、全長263メートル。海面から艦橋までの高さは約40メートル。随伴した駆逐艦は1400トン~2700トン、全長は110メートル~134メートル。高さは大和の艦腹の10メートルにも届かなかった。
「大きいフネに対して周りのフネは余りにも小さかった」という日高さんの言葉は「そうだろう」と思う。
日高さんの話は続く。
「この絵は、私の記憶通りに描いたもの。絵では飛行機がはっきり見えすぎていますけれども、もう少し薄く、雲の切れ間にパッパッと見える。雲の切れ間に赤とんぼが群れているように見えました」
「フネの一団を見送ったその日のことです。ものすごい轟音が聞こえた。すごい音です。その時に、飛行機がやられたと思ったのですが、軽い音ではない。怖くなって自分の家にかけていって次の音を聞こうとしたが、一発だけです。あー、これでよかったな、と。あの飛行機がやられて爆発した音だったのか、それにしては音がちょっと違っていたな。それからしばらくしてから、ひょっとしたら、あの軍艦から打ち出した大砲じゃないか、とも思いました」
「波頭」内の文章、写真、図表、地図を筆者渡辺圭司の許可なく使用することを禁止します。
問い合わせ、ご指摘、ご意見はCONTACTよりお願いします。
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