悼 安部正也大尉
祖国を憂え 重傷の戦友を按じ 邑人達の扶けと 天佑神助で 再び南溟に翔んだ 御霊よ 永久に 安らかに 安永克己拝
祖国を憂え 重傷の戦友を按じ 邑人達の扶けと 天佑神助で 再び南溟に翔んだ 御霊よ 永久に 安らかに 安永克己拝
この碑文は鹿児島県・黒島大里地区の「悼安部正也大尉」碑に刻まれている。不時着した陸軍特攻隊員安部正也少尉が、島民の手漕ぎ舟で知覧に戻り、再出撃。途中、大やけどを負って島に残った戦友に機上から薬品を投下した、という秘話を踏まえた内容だ。書いた人は安部少尉を舟で運んだ安永克己さん。
三島村特攻平和祈念祭を終えた後、参会者は山を下りて「悼安部正也大尉」碑に参る。
同祈念祭に向かう船内で三島村が配った趣旨文はこういう。
……黒島は知覧の南西約五十キロに位置する小離島で、特別攻撃機は欠乏する機材不良や燃油不足のため、出撃の途次でこの島に陸軍機三機、海軍機一機、搭乗隊員六人がやむなく不時着し、島民に救助された。連絡船が途絶えて久しいこの島で、隊員の一人が大やけどを負って手厚い看護を受け、一人が島の青年と大時化の海を手漕ぎの小舟で知覧基地に帰隊し、再出撃を果たすなど、島民と共に二ヶ月余の苦難の生活を体験して、終戦を迎えた。……
この小さな島を巻き込んだ悲惨な戦争の断面と、この島に心ならずも生存した5人の特別攻撃隊員の秘められた歴史を後世に伝えて久遠の平和を祈念するため平和の鐘、平和祈念御和讃の碑が建立され、特攻平和祈念祭を粛々と挙行するものである。
……
「一人が島の青年と大時化の海を手漕ぎの小舟で知覧基地に帰隊し、再出撃を果たす」の「一人」は黒島に不着した安部正也少尉(21)をいう。
知覧特攻平和会館の「安部正也大尉資料」によると、安部少尉は福岡県出身で明治大学在学中に学徒出陣となった。陸軍に入り、特別操縦見習士官1期生を経て航空士官となる。1945(昭和20)年4月29日、知覧から二式複座戦闘機屠龍に乗り、特攻出撃したが、黒島に不時着。黒島から伝馬船で海を渡り、知覧に戻った。この経緯は当時、地元の鹿児島日々新聞に掲載された。
5月4日、同型機で再出撃した。その途中、黒島で火傷の薬とキャラメルなどを投下したという。
感動する話だが、にわかには信じがたい。乗機の屠龍は双発2人乗り戦闘機だが、特攻出撃の時は1人乗りで運用した。最高時速547キロという1人乗り戦闘機から風防を開け、物資を投下できるのだろうか。
手漕ぎの舟で安部少尉を送り届けた「島の青年」安永克己さん(当時20)、同島に不時着した特攻隊員江名武彦さん(当時21)と地元の当時11歳の少年だった日高康雄さんの3人から聞いた話と、大やけどを負った柴田信也少尉(当時24)の戦後の手記でこの特攻秘話を追いかけた。①
結論を先に言うと、航空機からの薬品投下は事実だが、搭乗員が安部正也少尉である、という資料は知覧平和特攻記念館にもない。ただ、黒島に大やけどの戦友がいることを知っているのは安部少尉なので、安部少尉が特攻再出撃の途中に薬品を投下したことは限りなく事実に近いと思う。
三島村特攻平和祈念祭を終えた後、参会者は山を下りて「悼安部正也大尉」碑に参る。
同祈念祭に向かう船内で三島村が配った趣旨文はこういう。
……黒島は知覧の南西約五十キロに位置する小離島で、特別攻撃機は欠乏する機材不良や燃油不足のため、出撃の途次でこの島に陸軍機三機、海軍機一機、搭乗隊員六人がやむなく不時着し、島民に救助された。連絡船が途絶えて久しいこの島で、隊員の一人が大やけどを負って手厚い看護を受け、一人が島の青年と大時化の海を手漕ぎの小舟で知覧基地に帰隊し、再出撃を果たすなど、島民と共に二ヶ月余の苦難の生活を体験して、終戦を迎えた。……
この小さな島を巻き込んだ悲惨な戦争の断面と、この島に心ならずも生存した5人の特別攻撃隊員の秘められた歴史を後世に伝えて久遠の平和を祈念するため平和の鐘、平和祈念御和讃の碑が建立され、特攻平和祈念祭を粛々と挙行するものである。
……
「一人が島の青年と大時化の海を手漕ぎの小舟で知覧基地に帰隊し、再出撃を果たす」の「一人」は黒島に不着した安部正也少尉(21)をいう。
知覧特攻平和会館の「安部正也大尉資料」によると、安部少尉は福岡県出身で明治大学在学中に学徒出陣となった。陸軍に入り、特別操縦見習士官1期生を経て航空士官となる。1945(昭和20)年4月29日、知覧から二式複座戦闘機屠龍に乗り、特攻出撃したが、黒島に不時着。黒島から伝馬船で海を渡り、知覧に戻った。この経緯は当時、地元の鹿児島日々新聞に掲載された。
5月4日、同型機で再出撃した。その途中、黒島で火傷の薬とキャラメルなどを投下したという。
感動する話だが、にわかには信じがたい。乗機の屠龍は双発2人乗り戦闘機だが、特攻出撃の時は1人乗りで運用した。最高時速547キロという1人乗り戦闘機から風防を開け、物資を投下できるのだろうか。
手漕ぎの舟で安部少尉を送り届けた「島の青年」安永克己さん(当時20)、同島に不時着した特攻隊員江名武彦さん(当時21)と地元の当時11歳の少年だった日高康雄さんの3人から聞いた話と、大やけどを負った柴田信也少尉(当時24)の戦後の手記でこの特攻秘話を追いかけた。①
結論を先に言うと、航空機からの薬品投下は事実だが、搭乗員が安部正也少尉である、という資料は知覧平和特攻記念館にもない。ただ、黒島に大やけどの戦友がいることを知っているのは安部少尉なので、安部少尉が特攻再出撃の途中に薬品を投下したことは限りなく事実に近いと思う。
島に伝わる特攻秘話は、大やけどの治療薬を受け取った柴田少尉の出撃から始まる。
菊水作戦は4月6日から始まった。同10日、陸軍第29振武隊九段隊の隼3機が知覧から特攻出撃した。指揮官機は柴田少尉。抱える爆弾は250キロ。柴田少尉は酒が飲めないので、別れの盃は町の人が出したお汁粉だった。
隼3機は米軍レーダーに捉えられないように高度1,000mで沖縄に向かった。が、黒島を過ぎたころ、柴田機のエンジンが不調となり、高度が下がり始めた。飛行を続けることはできないと判断して爆弾を捨て、引き返したが、黒島の海岸に不時着した。
機体は炎上し、その中を脱出した柴田少尉は大火傷を負った。3日目に釣りに来た子どもたちが見つけ、伝馬船で大里の集落に運ばれた。
島中の人が来たかと思うほど大勢の島民が出迎えた。大里集落で大きな家は山の中腹にある安永家だったが、その家に柴田少尉は運び込まれた。
蒲団の周りに若い女性12、3人が控え、村長のあいさつを受けた。火傷の治療薬はなく、村長は馬1頭を殺して馬油をとり、傷口に塗った。しかし、傷口にウジがわき、手足は丸太のように腫れ上がった。
4月25日、大里の海岸に陸軍の安部正也少尉機が不時着。安部少尉は「仲間に遅れをとった。再出撃のため知覧基地に戻りたい。やけどの薬も手配したい」と村長に舟を出すようにと頼んだ。
島にある舟は、沖泊まりの本船まで櫓をこいで荷物の受け渡しをする底の丸い小舟で、沖にでることはもちろん、50キロも航海できる代物ではなかった。また、空も海も米軍が抑えていた。誰が考えても渡海に成功するとは思えなかった。
軍人は神様の扱いだったので、断ることができない。が、漕ぎ手を引き受けるものは現れなかった。遂に村長は抽選で決めた。2人が決まった。が、直前に姿を消してしまった。
安永家の次男克己さんは特攻を最高の名誉ある任務と思っていた。特攻隊員である安部少尉の焦る姿を見て、漕ぎ手をかってでた。
菊水作戦は4月6日から始まった。同10日、陸軍第29振武隊九段隊の隼3機が知覧から特攻出撃した。指揮官機は柴田少尉。抱える爆弾は250キロ。柴田少尉は酒が飲めないので、別れの盃は町の人が出したお汁粉だった。
隼3機は米軍レーダーに捉えられないように高度1,000mで沖縄に向かった。が、黒島を過ぎたころ、柴田機のエンジンが不調となり、高度が下がり始めた。飛行を続けることはできないと判断して爆弾を捨て、引き返したが、黒島の海岸に不時着した。
機体は炎上し、その中を脱出した柴田少尉は大火傷を負った。3日目に釣りに来た子どもたちが見つけ、伝馬船で大里の集落に運ばれた。
島中の人が来たかと思うほど大勢の島民が出迎えた。大里集落で大きな家は山の中腹にある安永家だったが、その家に柴田少尉は運び込まれた。
蒲団の周りに若い女性12、3人が控え、村長のあいさつを受けた。火傷の治療薬はなく、村長は馬1頭を殺して馬油をとり、傷口に塗った。しかし、傷口にウジがわき、手足は丸太のように腫れ上がった。
4月25日、大里の海岸に陸軍の安部正也少尉機が不時着。安部少尉は「仲間に遅れをとった。再出撃のため知覧基地に戻りたい。やけどの薬も手配したい」と村長に舟を出すようにと頼んだ。
島にある舟は、沖泊まりの本船まで櫓をこいで荷物の受け渡しをする底の丸い小舟で、沖にでることはもちろん、50キロも航海できる代物ではなかった。また、空も海も米軍が抑えていた。誰が考えても渡海に成功するとは思えなかった。
軍人は神様の扱いだったので、断ることができない。が、漕ぎ手を引き受けるものは現れなかった。遂に村長は抽選で決めた。2人が決まった。が、直前に姿を消してしまった。
安永家の次男克己さんは特攻を最高の名誉ある任務と思っていた。特攻隊員である安部少尉の焦る姿を見て、漕ぎ手をかってでた。
① 安永克己氏の取材は2015年5月9日、三島村特攻平和祈念祭の黒島に向かうフェリーみしまの船中で、江名武彦氏と日高康雄氏の取材は2010年と同15年の5月にあった同祈念祭で、柴田信也・元少尉の手記は国本康文著「陸軍潜航輸送艇出撃す!」1998(平成10)年自費出版から
「波頭」内の文章、写真、図表、地図を筆者渡辺圭司の許可なく使用することを禁止します。
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