特攻出撃中、鹿児島県三島村の黒島に不時着した江名武彦・海軍少尉は戦後、黒島に地元の人らと共に特攻平和観音を建立した。

写真右 三島村特攻平和祈念祭の黒島に向かう船中で報道陣に語る江名武彦さん=2015年5月9日、フェリーみしまで
以下は2015年5月9日から10日にかけて黒島で私が江名さんから取材した聞き書きだ。この年は戦後70年という節目にあたり、鹿児島県の多くの新聞、放送の記者が取材にきた。江名さんは船中で報道陣に囲まれ、体験を話した。91歳という高齢だが一語一語、はっきりとした口調で説明した。
菊水作戦は4月6日から6月25日までの2ヶ月半、10次にわたって実施された。
江名さんは1943(昭和18)年12月、早稲田大学政経学部3年の時、学徒出陣となった。海軍に入り、第十四期飛行予備学生となり、偵察の訓練を受けた。
鹿児島県串良基地から九七式艦攻で特攻出撃した。1 回目は1945(昭和20)年4月28日の菊水4号作戦だったが、エンジン不調で引き返す。2回目は同5月11日の菊水6号作戦。この時もエンジン不調で黒島に不時着した。特攻出撃を2度も体験した。
江名さんは1943(昭和18)年12月、早稲田大学政経学部3年の時、学徒出陣となった。海軍に入り、第十四期飛行予備学生となり、偵察の訓練を受けた。
鹿児島県串良基地から九七式艦攻で特攻出撃した。1 回目は1945(昭和20)年4月28日の菊水4号作戦だったが、エンジン不調で引き返す。2回目は同5月11日の菊水6号作戦。この時もエンジン不調で黒島に不時着した。特攻出撃を2度も体験した。
……
我々は正気隊という部隊名で、九七式艦攻の6機編成。1945(昭和20)年4月20日、茨城県百里原基地から鹿児島県串良基地に移動し、同28日、出撃した。菊水4号作戦だ。
6機のうち、1,2番機は故障で発進できない。3番機は出撃。4番機は発進したがすぐ引き返した。5,6番機は発進できた。
3機が出撃できた。私の機は6番機で発進できたが、間もなくエンジンから油もれが始まり、引き返した。結局、6機のうち攻撃まで行き着いた機は2機のみだった。

なぜ、故障が多いかというと、老朽機だからだ。
機体は九七式一号艦上攻撃機。1937(昭和12)年に制式採用となり、中国大陸方面の作戦に使用された。真珠湾攻撃に使われた九七式艦攻は3号で改良されたもの。私が乗った機体は古かった。
旧式で、馬力が低く、ピストンは老朽化、点火栓の部品が少ない。パッキンが悪く、ガソリンが漏洩し、潤滑油が噴き出す。部品を持ち寄って飛ばす状態だった。
3人乗りで、私は機長。真ん中の席に座る偵察員だった。操縦員は鹿児島県垂水市出身で乙種予科練の上等飛行兵曹梅本満さん(20)。電信員は名古屋市出身の甲種予科練13期の二等飛行兵曹前田長明さん(18)。
爆弾は八十番、つまり800キロで、またがるほどの大きさがある。体当たりなので爆弾の尾翼は取り外している。クジラのようで不気味だった。
爆弾を抱えて飛ぶのは初めてだった。
機体は九七式一号艦上攻撃機。1937(昭和12)年に制式採用となり、中国大陸方面の作戦に使用された。真珠湾攻撃に使われた九七式艦攻は3号で改良されたもの。私が乗った機体は古かった。
旧式で、馬力が低く、ピストンは老朽化、点火栓の部品が少ない。パッキンが悪く、ガソリンが漏洩し、潤滑油が噴き出す。部品を持ち寄って飛ばす状態だった。
3人乗りで、私は機長。真ん中の席に座る偵察員だった。操縦員は鹿児島県垂水市出身で乙種予科練の上等飛行兵曹梅本満さん(20)。電信員は名古屋市出身の甲種予科練13期の二等飛行兵曹前田長明さん(18)。
爆弾は八十番、つまり800キロで、またがるほどの大きさがある。体当たりなので爆弾の尾翼は取り外している。クジラのようで不気味だった。
爆弾を抱えて飛ぶのは初めてだった。
沖縄へ進撃するコースは3つあった。
飛行しやすいコースはトカラ列島沿い。島伝いに行くので飛行経路を計算する、つまりナビゲーションの必要がない。行きやすいが、米の邀撃機を受ける恐れは一番多い。危険なコースだ。
次はトカラ列島の東側を通る。米機動部隊を攻撃する時に使う。
3番目は黒島の西を通り、途中で変針して沖縄に向かうコース。
黒島を過ぎたら島がないので、このコースはナビゲーションが難しいが、敵機の攻撃は受けにくい。
このコースを取った。串良から山川へ出て、黒島を目標に240度のコースを取る。
飛行しやすいコースはトカラ列島沿い。島伝いに行くので飛行経路を計算する、つまりナビゲーションの必要がない。行きやすいが、米の邀撃機を受ける恐れは一番多い。危険なコースだ。
次はトカラ列島の東側を通る。米機動部隊を攻撃する時に使う。
3番目は黒島の西を通り、途中で変針して沖縄に向かうコース。
黒島を過ぎたら島がないので、このコースはナビゲーションが難しいが、敵機の攻撃は受けにくい。
このコースを取った。串良から山川へ出て、黒島を目標に240度のコースを取る。

山川から開聞岳を過ぎるころ、油漏れで風防が汚れ、見通すことができなくなり、操縦不能となった。パッキンが悪く、潤滑油が漏れて、エンジン不調となったのだ。
帰投しようとしたが、串良までもたないので知覧に不時着することにした。
爆弾を外さなければならないが、投下爆弾の爆風を避けるためには100キロにつき100メートルの高度が必要とされた。800キロ爆弾だから高度800メートル必要だが、600メートルから700メートルしかあがっていない。
爆弾は落とせないため、抱えたまま知覧に着陸した。無事着陸できたが、知覧で叱責を受けた。不時着の連絡をすると、機上作業練習機「白菊」で整備員がやってきて点検。翌日、白菊で串良に戻り、事故を報告した。
特攻隊員は一度出たら、最後の最後まで特攻から外れない。串良の司令官は「貴様ら、生きては帰さない」と言ったほどだ。
帰投しようとしたが、串良までもたないので知覧に不時着することにした。
爆弾を外さなければならないが、投下爆弾の爆風を避けるためには100キロにつき100メートルの高度が必要とされた。800キロ爆弾だから高度800メートル必要だが、600メートルから700メートルしかあがっていない。
爆弾は落とせないため、抱えたまま知覧に着陸した。無事着陸できたが、知覧で叱責を受けた。不時着の連絡をすると、機上作業練習機「白菊」で整備員がやってきて点検。翌日、白菊で串良に戻り、事故を報告した。
特攻隊員は一度出たら、最後の最後まで特攻から外れない。串良の司令官は「貴様ら、生きては帰さない」と言ったほどだ。
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