戦場ニ在ルコト一時間 目標ヲ選定スルコト三度
沈着剛毅 遂に戰艦ニ突入セルモノト認ム
沈着剛毅 遂に戰艦ニ突入セルモノト認ム
戦艦大和を旗艦とする第一遊撃部隊の沖縄海上特攻作戦を調べるために鹿児島県・黒島に渡ったが、特攻機が通過目標とした黒島上空で隊員は振り返り、本土に別れを告げたという三島村特攻平和祈念祭の碑文を読み、特攻隊員の実像に迫る資料を探すようになった。
手がかりは航空部隊の戦闘詳報だ。国立国会図書館アジア歴史資料センターから検索できる。
航空機の体当たり攻撃を主とする菊水作戦は1945(昭和20)年4月6日から6月22日まで10次にわたって続いた。初日の4月6日、鹿児島県・海軍串良基地から出撃した第131海軍航空隊の第一天桜隊第5小隊1番機からの無線連絡は以下のようだった。
第131海軍航空隊戦闘詳報第13号に記録されている。
1742 敵艦船見ユ
1744 我戰艦ニ体當リス
1810 敵艦船見ユ
1811 突撃ス
1824 我空母ニ体當リス
1834 敵艦船見ユ
1844 我戰艦に体當リス
手がかりは航空部隊の戦闘詳報だ。国立国会図書館アジア歴史資料センターから検索できる。
航空機の体当たり攻撃を主とする菊水作戦は1945(昭和20)年4月6日から6月22日まで10次にわたって続いた。初日の4月6日、鹿児島県・海軍串良基地から出撃した第131海軍航空隊の第一天桜隊第5小隊1番機からの無線連絡は以下のようだった。
第131海軍航空隊戦闘詳報第13号に記録されている。
1742 敵艦船見ユ
1744 我戰艦ニ体當リス
1810 敵艦船見ユ
1811 突撃ス
1824 我空母ニ体當リス
1834 敵艦船見ユ
1844 我戰艦に体當リス
基地側はこの無電を記録し、続いて評として
…ト打電アリタル儘 連絡絶ユ
戦場ニ在ルコト一時間 目標ヲ選定スルコト三度
沈着剛毅 遂に戰艦ニ突入セルモノト認ム
と述べている。
この電文を送ってきた第5小隊1番機の乗員は操縦員嘉戸仡(いさむ)・1等飛行兵曹(22)、偵察員原敬治・上等飛曹(22)、電信員岡和夫・2等飛曹(20)の3人。
電文によれば、最初、戦艦に突入する、と打電してきたが、26分後に空母体当たりと連絡、その10分後に「別の艦船を目撃」と知らせ、さらに10分後に戦艦体当たりを打電し、連絡が絶えた。
この間、1時間2分。突入角度に問題があったのか、米艦船の回避行動に追いつけなかったのか、1番機は戦場の上空で体当たりの目標を求めて飛行を続けていた。
航空機の翼は揚力が生じるようにできている。その揚力を押し殺して落下するように突撃する特攻機の操縦は難しい。航空機という文明の利器を生み出した人類の智恵に反する使用法だ。
偵察員と電信員は海軍の飛行訓練を受けた下士官だが、操縦員の嘉戸・1飛曹は逓信省航空機乗員養成所卒という変わった経歴を持つ。郵便機など民間や軍以外の航空機操縦員を養成する機関で、全国各地に設立された。嘉戸・1飛曹は愛媛地方養成所を出た。将来を空の仕事に求めたのだろう。
僚機の2番機も同様の攻撃記録を残している。
第131海軍航空隊からは同じ日、旧式の九七式艦攻30機が沖縄周辺の米軍艦船を目標に特攻出撃した。
九七式艦攻の発進状況を戦闘詳報から追いかけると、午後0時27分、大分県から進出、待機していた宇佐海軍航空隊の4機が1分ごとに飛び立った。続いて兵庫県・姫路航空隊の4機が、そして宇佐、姫路と交互に4機、5機を単位として出撃。午後2時41分までの2時間14分の間に30機が沖縄周辺の米軍艦船を目標に特攻に出た。
約1時間後の午後3時35分からは第一天桜隊の新鋭、艦上攻撃機天山10機が出撃。喜界島南方の米海軍空母機動部隊へ全機到達し、かつ目標突入を連絡している。
この日、串良基地からは特攻機計40機が出撃した。
「功績」の項では
「菊水1号作戦における当部隊特別攻撃隊の壮烈鬼神を哭かしむる作戦行動は御稜威と天佑神助に依り所期以上の大戦果を挙げ、以てその大任をまっとうしたるは千載に薫るべき武人最高の栄誉を負うものにして、本作戦に寄与する所極めて大。その偉功顕著なりと認む」
と最大級の賛辞をおくっている。
軍関係の報告書類の言葉は誇大表現が多いが、この戦闘詳報の「功績」内の言葉、「壮烈鬼神を哭かしむる」「千載に薫るべき武人最高の栄誉を負う」は、特攻機からの電文を読む限り決して誇大ではない、 と、思った。
しかし、同12日の菊水2号作戦で131航空隊は特攻機22機を出撃させたが、その「功績」欄の文章は菊水1号作戦を菊水2号作戦と言い換えただけで、同文だった。「鬼神」も、「薫るべき」も再び使われていた。
菊水作戦初日の4月6日、海軍は鹿児島県内4基地と台湾内2基地から特攻機を計215機出撃させた。うち161機が未帰還となり、279人が特攻死。陸軍は知覧など4基地から特攻機82機をさせ、61機未帰還。特攻死61人。陸海軍合わせて特攻機は10基地から397機、うち未帰還機は221機、特攻死は340人。①
米海軍作戦年誌はこの日の被害を「沈没 駆逐艦3隻、上陸用舟艇1隻」「損傷 戦艦、軽空母、軽巡洋艦各1隻、駆逐艦15隻、掃海艇6隻、輸送船など6隻」の計34隻と記録している。②
航空特攻に呼応して戦艦大和を旗艦とする第一遊撃部隊10隻は6日午後、山口県・徳山沖を出撃し、同日午後6時、豊後水道に入った。③
同水道を抜けると制空権も制海権も米軍に奪われた日向灘を進む。翌7日は菊水作戦2日目の死闘が繰り広げられる東シナ海を突っ切り、沖縄へ海上特攻で突入する予定だ。
…ト打電アリタル儘 連絡絶ユ
戦場ニ在ルコト一時間 目標ヲ選定スルコト三度
沈着剛毅 遂に戰艦ニ突入セルモノト認ム
と述べている。
この電文を送ってきた第5小隊1番機の乗員は操縦員嘉戸仡(いさむ)・1等飛行兵曹(22)、偵察員原敬治・上等飛曹(22)、電信員岡和夫・2等飛曹(20)の3人。
電文によれば、最初、戦艦に突入する、と打電してきたが、26分後に空母体当たりと連絡、その10分後に「別の艦船を目撃」と知らせ、さらに10分後に戦艦体当たりを打電し、連絡が絶えた。
この間、1時間2分。突入角度に問題があったのか、米艦船の回避行動に追いつけなかったのか、1番機は戦場の上空で体当たりの目標を求めて飛行を続けていた。
航空機の翼は揚力が生じるようにできている。その揚力を押し殺して落下するように突撃する特攻機の操縦は難しい。航空機という文明の利器を生み出した人類の智恵に反する使用法だ。
偵察員と電信員は海軍の飛行訓練を受けた下士官だが、操縦員の嘉戸・1飛曹は逓信省航空機乗員養成所卒という変わった経歴を持つ。郵便機など民間や軍以外の航空機操縦員を養成する機関で、全国各地に設立された。嘉戸・1飛曹は愛媛地方養成所を出た。将来を空の仕事に求めたのだろう。
僚機の2番機も同様の攻撃記録を残している。
第131海軍航空隊からは同じ日、旧式の九七式艦攻30機が沖縄周辺の米軍艦船を目標に特攻出撃した。
九七式艦攻の発進状況を戦闘詳報から追いかけると、午後0時27分、大分県から進出、待機していた宇佐海軍航空隊の4機が1分ごとに飛び立った。続いて兵庫県・姫路航空隊の4機が、そして宇佐、姫路と交互に4機、5機を単位として出撃。午後2時41分までの2時間14分の間に30機が沖縄周辺の米軍艦船を目標に特攻に出た。
約1時間後の午後3時35分からは第一天桜隊の新鋭、艦上攻撃機天山10機が出撃。喜界島南方の米海軍空母機動部隊へ全機到達し、かつ目標突入を連絡している。
この日、串良基地からは特攻機計40機が出撃した。
「功績」の項では
「菊水1号作戦における当部隊特別攻撃隊の壮烈鬼神を哭かしむる作戦行動は御稜威と天佑神助に依り所期以上の大戦果を挙げ、以てその大任をまっとうしたるは千載に薫るべき武人最高の栄誉を負うものにして、本作戦に寄与する所極めて大。その偉功顕著なりと認む」
と最大級の賛辞をおくっている。
軍関係の報告書類の言葉は誇大表現が多いが、この戦闘詳報の「功績」内の言葉、「壮烈鬼神を哭かしむる」「千載に薫るべき武人最高の栄誉を負う」は、特攻機からの電文を読む限り決して誇大ではない、 と、思った。
しかし、同12日の菊水2号作戦で131航空隊は特攻機22機を出撃させたが、その「功績」欄の文章は菊水1号作戦を菊水2号作戦と言い換えただけで、同文だった。「鬼神」も、「薫るべき」も再び使われていた。
菊水作戦初日の4月6日、海軍は鹿児島県内4基地と台湾内2基地から特攻機を計215機出撃させた。うち161機が未帰還となり、279人が特攻死。陸軍は知覧など4基地から特攻機82機をさせ、61機未帰還。特攻死61人。陸海軍合わせて特攻機は10基地から397機、うち未帰還機は221機、特攻死は340人。①
米海軍作戦年誌はこの日の被害を「沈没 駆逐艦3隻、上陸用舟艇1隻」「損傷 戦艦、軽空母、軽巡洋艦各1隻、駆逐艦15隻、掃海艇6隻、輸送船など6隻」の計34隻と記録している。②
航空特攻に呼応して戦艦大和を旗艦とする第一遊撃部隊10隻は6日午後、山口県・徳山沖を出撃し、同日午後6時、豊後水道に入った。③
同水道を抜けると制空権も制海権も米軍に奪われた日向灘を進む。翌7日は菊水作戦2日目の死闘が繰り広げられる東シナ海を突っ切り、沖縄へ海上特攻で突入する予定だ。
① 「特別攻撃隊全史」財団法人特別攻撃隊戦没者慰霊平和祈念協会編2008(平成20)年刊
② 防衛庁防衛研修所戦史室(当時)著 戦史叢書「沖縄方面海軍作戦」朝雲新聞社1968(昭和43)年刊
③ 第2水雷戦隊編「天一号作戦海上特攻隊戦闘詳報」=末國正雄・秦郁彦監修「連合艦隊海空戦戦闘詳報18特別攻撃隊戦闘詳報」アテネ書房1996年刊
「波頭」内の文章、写真、図表、地図を筆者渡辺圭司の許可なく使用することを禁止します。
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② 防衛庁防衛研修所戦史室(当時)著 戦史叢書「沖縄方面海軍作戦」朝雲新聞社1968(昭和43)年刊
③ 第2水雷戦隊編「天一号作戦海上特攻隊戦闘詳報」=末國正雄・秦郁彦監修「連合艦隊海空戦戦闘詳報18特別攻撃隊戦闘詳報」アテネ書房1996年刊
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