1998(平成10)年5月7日付朝日新聞の「広島県呉市と京都府舞鶴市が肉じゃが本家争い」は、私が京都府舞鶴市に赴任時にまとめた記事だ。
東郷元帥が英留学中に食べたビーフシチューを懐かしみ、ワインがないため醤油と砂糖で真似たのが肉じゃがの始まりだという。東郷元帥は呉、舞鶴の両地に赴任したため、両市とも本家を名乗りだした、という内容。肉じゃが家庭料理と東郷元帥の軍服姿の対比、地方都市の対決がテレビワイドショーの格好の話題となった。
この時に思い出したのは長崎県佐世保市長の「足の裏論」だ。1983(昭和58)年から2年間、佐世保市に赴任したが、当時の梯熊獅市長が防衛庁(当時)へ要望する会議で「旧軍港4市は米海軍や海上自衛隊の基地を引き受けている。足の裏に少しでも痛みが生じたら立つことも歩くこともできない。旧軍港4市は足の裏だ。国は足の裏の痛みを十分に承知してもらいたい」とかなり強い口調で迫った。
予算ぶんどり合戦のテクニックだと思うが、旧軍港が戦後を生きのびる悲鳴のようにも聞こえた。
沖縄県が辺野古埋め立てに反対する状況は「足の裏論」から見て、察するに余りある。
私はまったくの偶然だが、佐世保、呉、舞鶴と旧軍港3市に赴任した。
旧軍の財産を受け継ぐ旧軍港市転換法(軍転法)により、4市は戦後を平和産業港湾都市として出発したが、実際は主要な沿岸は海上自衛隊が占め、特に佐世保市では米海軍基地が佐世保港の主人公然たる存在だ。
旧軍港の町を渡り歩いた体験から、旧軍港イメージから脱して元気な町になってもらいたい、という気持ちで肉じゃが記事を仕立てた。
呉と舞鶴の肉じゃがバトルがきっかけで1999(平成11)年から毎年、旧軍港4市が持ち回りでグルメ交流会を開くようになった。
佐世保市は米海軍基地の関係からハンバーグを地元グルメとした。
横須賀市は海軍カレーだ。
「海軍カレー」と銘打ったレトルトカレー商品がスーパーの店頭に並びだしたのは2010年ごろからか。いま、通販サイトで「海軍カレー」を検索すると、いろいろな地名を冠にした海軍カレーが並ぶ。
「横須賀」を冠にしたカレーはざっと見ても13種類もあった。日露戦争当時の軍艦を、戦艦三笠か、シルエットにした図柄から「大日本帝国海軍横須賀鎮守府」と軍艦旗をあしらった復古調まで、とこれまでは考えることもはばかれてきた図柄が並ぶ。
今の若い世代は復古調をお洒落と受け取る感覚なのだろうか。
「呉海自カレー」と海上自衛隊を前面に押し出した商品もあった。このジャンルでは、護衛艦とねのキーマカレー、呉基地業務隊の牛すじカレーと細分化され、さらに航空自衛隊那覇基地カレーまで飛び火している。
カレーマニアが対象なのか、軍事オタクをターゲットにしているのか。
私自身、海自カレーの一つを食べたが、はっきりとスパイスがきき、頭がスッキリとする。人に勧めることができる。
呉市の大和ミュージアムは2005(平成17)年4月開館以来、年間約90万人の入館者を呼び込んでいる。
2016(平成28)年4月には呉市など旧軍港4市が文化庁の日本遺産に認定された。「日本近代化の躍動を体感できるまち」がうたい文句だ。呉市からは旧海軍鎮守府で今の海自呉総監部庁舎など18カ所が観光コースに組み込まれた。
実に隔世の感がする。
1991(平成3)年4月、海上自衛隊はペルシャ湾へ掃海部隊を派遣したが、母港となる広島県・呉港の記者会見で呉地方総監部の総監が開口一番、「海上自衛隊を取り上げていただくことがありがたい」という意味のことを述べた。自衛隊が海外で初めて実任務に就くという日本の防衛政策が大転換する日だったが、当の自衛隊側はその存在を認めてくれてありがたい、というのだ。
30年近くたって今や海上自衛隊や海軍が観光の対象となっている。
東郷元帥が英留学中に食べたビーフシチューを懐かしみ、ワインがないため醤油と砂糖で真似たのが肉じゃがの始まりだという。東郷元帥は呉、舞鶴の両地に赴任したため、両市とも本家を名乗りだした、という内容。肉じゃが家庭料理と東郷元帥の軍服姿の対比、地方都市の対決がテレビワイドショーの格好の話題となった。
この時に思い出したのは長崎県佐世保市長の「足の裏論」だ。1983(昭和58)年から2年間、佐世保市に赴任したが、当時の梯熊獅市長が防衛庁(当時)へ要望する会議で「旧軍港4市は米海軍や海上自衛隊の基地を引き受けている。足の裏に少しでも痛みが生じたら立つことも歩くこともできない。旧軍港4市は足の裏だ。国は足の裏の痛みを十分に承知してもらいたい」とかなり強い口調で迫った。
予算ぶんどり合戦のテクニックだと思うが、旧軍港が戦後を生きのびる悲鳴のようにも聞こえた。
沖縄県が辺野古埋め立てに反対する状況は「足の裏論」から見て、察するに余りある。
私はまったくの偶然だが、佐世保、呉、舞鶴と旧軍港3市に赴任した。
旧軍の財産を受け継ぐ旧軍港市転換法(軍転法)により、4市は戦後を平和産業港湾都市として出発したが、実際は主要な沿岸は海上自衛隊が占め、特に佐世保市では米海軍基地が佐世保港の主人公然たる存在だ。
旧軍港の町を渡り歩いた体験から、旧軍港イメージから脱して元気な町になってもらいたい、という気持ちで肉じゃが記事を仕立てた。
呉と舞鶴の肉じゃがバトルがきっかけで1999(平成11)年から毎年、旧軍港4市が持ち回りでグルメ交流会を開くようになった。
佐世保市は米海軍基地の関係からハンバーグを地元グルメとした。
横須賀市は海軍カレーだ。
「海軍カレー」と銘打ったレトルトカレー商品がスーパーの店頭に並びだしたのは2010年ごろからか。いま、通販サイトで「海軍カレー」を検索すると、いろいろな地名を冠にした海軍カレーが並ぶ。
「横須賀」を冠にしたカレーはざっと見ても13種類もあった。日露戦争当時の軍艦を、戦艦三笠か、シルエットにした図柄から「大日本帝国海軍横須賀鎮守府」と軍艦旗をあしらった復古調まで、とこれまでは考えることもはばかれてきた図柄が並ぶ。
今の若い世代は復古調をお洒落と受け取る感覚なのだろうか。
「呉海自カレー」と海上自衛隊を前面に押し出した商品もあった。このジャンルでは、護衛艦とねのキーマカレー、呉基地業務隊の牛すじカレーと細分化され、さらに航空自衛隊那覇基地カレーまで飛び火している。
カレーマニアが対象なのか、軍事オタクをターゲットにしているのか。
私自身、海自カレーの一つを食べたが、はっきりとスパイスがきき、頭がスッキリとする。人に勧めることができる。
呉市の大和ミュージアムは2005(平成17)年4月開館以来、年間約90万人の入館者を呼び込んでいる。
2016(平成28)年4月には呉市など旧軍港4市が文化庁の日本遺産に認定された。「日本近代化の躍動を体感できるまち」がうたい文句だ。呉市からは旧海軍鎮守府で今の海自呉総監部庁舎など18カ所が観光コースに組み込まれた。
実に隔世の感がする。
1991(平成3)年4月、海上自衛隊はペルシャ湾へ掃海部隊を派遣したが、母港となる広島県・呉港の記者会見で呉地方総監部の総監が開口一番、「海上自衛隊を取り上げていただくことがありがたい」という意味のことを述べた。自衛隊が海外で初めて実任務に就くという日本の防衛政策が大転換する日だったが、当の自衛隊側はその存在を認めてくれてありがたい、というのだ。
30年近くたって今や海上自衛隊や海軍が観光の対象となっている。
「波頭」内の文章、写真、図表、地図を筆者渡辺圭司の許可なく使用することを禁止します。
問い合わせ、ご指摘、ご意見はCONTACTよりお願いします。
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