民俗学者宮本常一(1907~81)は36歳だった1943(昭和18)年夏、山口県・瀬戸内海安芸灘で地元の漁船に乗り、戦艦大和の脇を通り過ぎた。
柱島で旧友に会い、生まれ故郷の周防大島へ渡る途中だった。柱島沖の連合艦隊泊地に戦艦大和は碇泊していた。
戦艦大和を見た印象を、戦後刊行した著書「私の日本地図4瀬戸内海」で書いた。
…さて私は島(柱島)で2,3日あそんでから、柱島から端島にわたり、連合艦隊の碇泊している間をぬって、郷里の家まで小舟でおくってもらった。その時、大和のすぐそばを通って見た。旗さえ立てていれば大丈夫だ、といって、漁船でこの海の航海をゆるされたしるしの旗をたてて、この巨艦のすぐそばを通って見た。
そして、底知れぬ恐怖をおぼえたものである。それが何故であったか。
多分はそれが人を殺すためにのみ存在するものである、ということであったからだろう。人を殺すために存在するものは、また人に殺されるものにもなる。私のような小心のものには、それが不気味そのものに見えたのである。…
柱島で旧友に会い、生まれ故郷の周防大島へ渡る途中だった。柱島沖の連合艦隊泊地に戦艦大和は碇泊していた。
戦艦大和を見た印象を、戦後刊行した著書「私の日本地図4瀬戸内海」で書いた。
…さて私は島(柱島)で2,3日あそんでから、柱島から端島にわたり、連合艦隊の碇泊している間をぬって、郷里の家まで小舟でおくってもらった。その時、大和のすぐそばを通って見た。旗さえ立てていれば大丈夫だ、といって、漁船でこの海の航海をゆるされたしるしの旗をたてて、この巨艦のすぐそばを通って見た。
そして、底知れぬ恐怖をおぼえたものである。それが何故であったか。
多分はそれが人を殺すためにのみ存在するものである、ということであったからだろう。人を殺すために存在するものは、また人に殺されるものにもなる。私のような小心のものには、それが不気味そのものに見えたのである。…
この時の「大和」は竣工後1年8ヶ月ほど経っていた。連合艦隊旗艦を1年間務め、トラック島に進出中の1943(昭和18)年2月、姉妹艦武蔵にその座を譲った。同年5月、呉港に戻ってきたが、8月17日、再びトラック島へ向かった。
宮本が「大和」を見た時は、柱島沖を拠点に出動訓練を繰り返していた。
宮本は渋沢敬三が主宰する日本常民文化研究所の研究員として1939(昭和14)年以来4年間、全国各地を訪ね、漁具、農耕機具など民具を採集、調査してきた。胃潰瘍を患い、故郷で静養していた。
戦後、「歩く・見る・聞く」を研究手法として各地の民俗を現地調査した。
平凡社が2007年に出した別冊太陽148宮本常一―「忘れられた日本人」を訪ねて―の表紙には宮本の業績を端的に述べた文章がある。
宮本が「大和」を見た時は、柱島沖を拠点に出動訓練を繰り返していた。
宮本は渋沢敬三が主宰する日本常民文化研究所の研究員として1939(昭和14)年以来4年間、全国各地を訪ね、漁具、農耕機具など民具を採集、調査してきた。胃潰瘍を患い、故郷で静養していた。
戦後、「歩く・見る・聞く」を研究手法として各地の民俗を現地調査した。
平凡社が2007年に出した別冊太陽148宮本常一―「忘れられた日本人」を訪ねて―の表紙には宮本の業績を端的に述べた文章がある。
…民衆の知恵をめぐって、旅する稀代の民俗学者。「日本人」とはなにものか。その答えを求めて、土地土地の風景と人間の歴史を収めた厖大な記録と写真群―。そこは日本人が遺した豊かな時間に満ちている…
宮本常一が記録した日本人は、地形や気候に合わせて漁具、農機具等を工夫し、鉄道、航路の伸張に、イワシの魚群に機会を見つけては、地方や離島に新天地を求める姿だった。家族や一族が離合集散を繰り返す様を記録した。宮本はそこに「民衆の知恵」と「日本人が遺した豊かな時間」を見出した。
その日本人が「大和」「武蔵」という世界最大の戦艦を建造したのだ。
その「大和」「武蔵」が沈没して日本は敗戦となった。
「八月十五日」の翌日、宮本は大阪・天王寺駅前でずらりと並んだヤミ屋を見て、希望を見出した。
その日本人が「大和」「武蔵」という世界最大の戦艦を建造したのだ。
その「大和」「武蔵」が沈没して日本は敗戦となった。
「八月十五日」の翌日、宮本は大阪・天王寺駅前でずらりと並んだヤミ屋を見て、希望を見出した。
…(ヤミ屋の)ほとんどがゆでたサツマイモを売っていた。その前日までは見かけなかった風景である。
このような現実の中から、私は日本人が今後かならず戦後をりっぱに生きぬくであろうことを信じた…①
このような現実の中から、私は日本人が今後かならず戦後をりっぱに生きぬくであろうことを信じた…①
宮本常一は「大和」を見て、「不気味そのもの」と表現した。民衆の予感だったのか。
① 月刊ペン連載「日本を思う」から「われらの荒々しき血のゆくえ」=1969年刊
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