海上自衛隊が空母を持つ日―に関連した約30年前の思い出だ。
1992(平成4)年春、海自初の海外派遣となったペルシャ湾の機雷除去が終った翌年だが、出港地の広島県呉市で呉市政記者クラブは海自呉地方総監部と懇談会をもった。
ペルシャ湾で除去した機雷の破片を持ち帰ったら、大蔵省(今の財務省)から鉄材の輸入手続きを求められ、結局、総監部総務課長のポケットマネーで個人輸入としたこと、ペルシャ湾の洋上で昆虫採集をし、標本をつくったら、防疫上の理由から海上投棄させられたこと、などの裏話に興じた。
砕氷艦しらせが持ち帰った南極の氷で水割りにしたウイスキーの酔いがまわるころ、海自幹部から「海上自衛隊は希望する。どんなに小さくてもよいから空母をもちたい」との発言が飛び出した。
海上自衛官幹部なら誰でも思うことは「首尾一貫した海上勢力となる海上機動部隊を運用する」だ。空母発着の航空機が哨戒から示威、けん制、実力行使まで遠い海洋で政治の延長として行動する。
当時の海自は対潜水艦作戦に特化した編成だった。米海軍の補完部隊という扱いだ、とは海自隊員自身がよくこぼしていた。
その時、海上機動部隊は極めてハードルが高い話だと思った。憲法の戦力保持の禁止に反するし、なかでも米国が認めないだろう、と。
空母機動部隊を作戦で使用した最初は旧日本海軍の真珠湾攻撃だし、戦後も含めて空母機動部隊を運用した国は日米しかない、ことから米国は海自の空母保有を危険視するだろう。
また、実際に運用するには海自は搭載機を収容する滑走路をもった空港を持たなければならない。
それが、2019(令和元)年5月、トランプ米大統領が、将来空母に改装されるだろうというヘリコプター搭載護衛艦かがを訪問した。
ここまでくるには海自は慎重に、時間をかけ、確実に踏み込んできた。
1998(平成10)年3月、新しい大型輸送艦おおすみ(基準排水量8,900トン)が呉市の海自基地に配備された。甲板が全通となる形から「空母がらみではないか」と言われた。
その時、私は京都府舞鶴市に赴任していたが、艦長経験のある海自舞鶴総監部の幹部に「『おおすみ』は空母に改装できるのか」と聞いた。返答は「国民にこの空母型というかたちに慣れてもらう」「海自自身が空母型の試験をし、動かす訓練をする」の2点だった。
新しいタイプの船をつくる時にはミニチュアでテストをする。「おおすみ」がそのミニチュアだというのだ。「海自が空母を持つ日」に向けてそろりと一歩を踏み出したと私は受け止めた。
同じ頃、舞鶴を母港とする第三護衛隊群の旗艦はるな(基準排水量4,950トン)が艦齢28年になり、後継艦が取り沙汰されはじめた。海事関係の雑誌には従来型の護衛艦のイメージ図が掲載され、2000(平成12)年、防衛省が中期防衛力整備計画で発表したヘリコプター搭載護衛艦(基準排水量13,500トン)の図は同様に中央部を艦橋が占めていた。一見すると、従来型の護衛艦と似ている。
しかし、舞鶴基地の隊員の間では「同じタイプの旗艦をつくるはずはない。洋上支援艦とか災害時の通信指揮艦を兼ねるという名目を強調して、空母色は薄めるが空母型にするだろう」とのうわさがもっぱらだった。
このあたりの下りは2001(平成13)年12月14日号「週刊金曜日」に筆名で投稿し、掲載されたが、1年8ヶ月後の2003(平成15)年8月、防衛省が概算要求時に貼付したイメージ図はまさにうわさ通りの全通甲板の空母型だった。
これが「ひゅうが」「いせ」となり、それぞれ09年、11年に就役。続いて一回り大きいいずも型(基準排水量19,500トン)が現れ、15年に「いずも」、17年にトランプ大統領が乗艦した「かが」が配備された。
「おおすみ」の話が出た時、舞鶴総監部の幹部に「空母を持ったとしても航空機を収容する滑走路付きの空港はどこにつくるのか」と聞くと、「能登空港とか但馬空港はどうですかね」と反対に聞かれた。「海自が空母を持つ日」に備えた舞台はいつの間にかできあがっているようだ。
1992(平成4)年春、海自初の海外派遣となったペルシャ湾の機雷除去が終った翌年だが、出港地の広島県呉市で呉市政記者クラブは海自呉地方総監部と懇談会をもった。
ペルシャ湾で除去した機雷の破片を持ち帰ったら、大蔵省(今の財務省)から鉄材の輸入手続きを求められ、結局、総監部総務課長のポケットマネーで個人輸入としたこと、ペルシャ湾の洋上で昆虫採集をし、標本をつくったら、防疫上の理由から海上投棄させられたこと、などの裏話に興じた。
砕氷艦しらせが持ち帰った南極の氷で水割りにしたウイスキーの酔いがまわるころ、海自幹部から「海上自衛隊は希望する。どんなに小さくてもよいから空母をもちたい」との発言が飛び出した。
海上自衛官幹部なら誰でも思うことは「首尾一貫した海上勢力となる海上機動部隊を運用する」だ。空母発着の航空機が哨戒から示威、けん制、実力行使まで遠い海洋で政治の延長として行動する。
当時の海自は対潜水艦作戦に特化した編成だった。米海軍の補完部隊という扱いだ、とは海自隊員自身がよくこぼしていた。
その時、海上機動部隊は極めてハードルが高い話だと思った。憲法の戦力保持の禁止に反するし、なかでも米国が認めないだろう、と。
空母機動部隊を作戦で使用した最初は旧日本海軍の真珠湾攻撃だし、戦後も含めて空母機動部隊を運用した国は日米しかない、ことから米国は海自の空母保有を危険視するだろう。
また、実際に運用するには海自は搭載機を収容する滑走路をもった空港を持たなければならない。
それが、2019(令和元)年5月、トランプ米大統領が、将来空母に改装されるだろうというヘリコプター搭載護衛艦かがを訪問した。
ここまでくるには海自は慎重に、時間をかけ、確実に踏み込んできた。
1998(平成10)年3月、新しい大型輸送艦おおすみ(基準排水量8,900トン)が呉市の海自基地に配備された。甲板が全通となる形から「空母がらみではないか」と言われた。
その時、私は京都府舞鶴市に赴任していたが、艦長経験のある海自舞鶴総監部の幹部に「『おおすみ』は空母に改装できるのか」と聞いた。返答は「国民にこの空母型というかたちに慣れてもらう」「海自自身が空母型の試験をし、動かす訓練をする」の2点だった。
新しいタイプの船をつくる時にはミニチュアでテストをする。「おおすみ」がそのミニチュアだというのだ。「海自が空母を持つ日」に向けてそろりと一歩を踏み出したと私は受け止めた。
同じ頃、舞鶴を母港とする第三護衛隊群の旗艦はるな(基準排水量4,950トン)が艦齢28年になり、後継艦が取り沙汰されはじめた。海事関係の雑誌には従来型の護衛艦のイメージ図が掲載され、2000(平成12)年、防衛省が中期防衛力整備計画で発表したヘリコプター搭載護衛艦(基準排水量13,500トン)の図は同様に中央部を艦橋が占めていた。一見すると、従来型の護衛艦と似ている。
しかし、舞鶴基地の隊員の間では「同じタイプの旗艦をつくるはずはない。洋上支援艦とか災害時の通信指揮艦を兼ねるという名目を強調して、空母色は薄めるが空母型にするだろう」とのうわさがもっぱらだった。
このあたりの下りは2001(平成13)年12月14日号「週刊金曜日」に筆名で投稿し、掲載されたが、1年8ヶ月後の2003(平成15)年8月、防衛省が概算要求時に貼付したイメージ図はまさにうわさ通りの全通甲板の空母型だった。
これが「ひゅうが」「いせ」となり、それぞれ09年、11年に就役。続いて一回り大きいいずも型(基準排水量19,500トン)が現れ、15年に「いずも」、17年にトランプ大統領が乗艦した「かが」が配備された。
「おおすみ」の話が出た時、舞鶴総監部の幹部に「空母を持ったとしても航空機を収容する滑走路付きの空港はどこにつくるのか」と聞くと、「能登空港とか但馬空港はどうですかね」と反対に聞かれた。「海自が空母を持つ日」に備えた舞台はいつの間にかできあがっているようだ。
「波頭」内の文章、写真、図表、地図を筆者渡辺圭司の許可なく使用することを禁止します。
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