戦艦大和の主砲に先立つこと約12年前、広島県・呉海軍工廠は大和主砲を上回る巨砲を試作していた。太平洋戦争終了後、米軍がこの巨砲を撮影している。
戦後、米海軍の「日本に関する米海軍技術調査団」(U.S NAVAL TECHNICAL MISSION TO JAPAN )は戦艦大和主砲の砲架部分について調査し、1946(昭和21)年2月1日付で報告書「日本の18インチ主砲の砲架」(JAPANESE 18”GUN MOUNTS)を出した。その報告の最初に大和主砲に先行して試作された巨砲を写真3葉付で紹介している。
…第一次世界大戦後しばらくして呉海軍工廠と亀ガ首発射場は45口径48センチ(18.9インチ)砲の試験を始めた。砲身の砲尾近くのみに鋼線が巻かれていた。最初の砲身は試射中に割れた。2本目が製造された。2本目は1945年12月現在も亀ガ首発射場に残っていた。共に残っていた砲架と砲鞍は第一次世界大戦前に製造されたイギリスの15-inch砲をコピーしたものだ。この48センチ砲のテストはワシントン海軍軍縮条約によって中止され、巨砲を製造しようという試みは以後12年間、休止となった。…
と言及。
同米軍報告は、砲弾や装薬を持ち上げる機構、主砲の砲身に装填する方法を子細に調べている。広島県呉市史編さん室が米で収集した史料の一つだ。
この巨砲の試作は呉工廠で1918(大正7)年から始まった。翌年、砲身の内部に「コーナーゴースト」といわれる欠陥が見つかったが、3カ所を鋼線で置き換えた。1920(大正9)年12月、亀ガ首発射場で領収発射、即ち完成確認の発射をした。①
…呉工廠試作の巨砲に特殊巨砲とに斯く命名し、亀ガ首で数日間、試験…
と大呉市民史(弘中柳三編)は伝える。巨砲試作の情報は一般社会に流れていたようだ。
発射9発目に砲尾が破裂して吹き飛んだ。
原因は砲身の層を成すⅡA筒を焼き嵌める時、ゴーストが亀裂を生じ、発射の衝撃で砲身が破裂した、と分かった。②
原因は究明されて対策は出来た。鋼材に不純物が残り、発射の衝撃に耐えられずに破壊に至ったとして白点とゴーストが厳しく検査され、油焼き戻しがとられた。衝撃試験も加わった。③
ゴーストとは鍛造した鋼材に不純物のリン、硫黄が不均質に残留する結果をいう。白点とは鍛造のひずみなど材質強度が不均衡となり、亀裂の原因となる。鋼材に白斑が生じることからこの名がある。
原因は鋼材の製造にあり、砲身の設計に関しては完全に正しい、と判断された。②
…第一次世界大戦後しばらくして呉海軍工廠と亀ガ首発射場は45口径48センチ(18.9インチ)砲の試験を始めた。砲身の砲尾近くのみに鋼線が巻かれていた。最初の砲身は試射中に割れた。2本目が製造された。2本目は1945年12月現在も亀ガ首発射場に残っていた。共に残っていた砲架と砲鞍は第一次世界大戦前に製造されたイギリスの15-inch砲をコピーしたものだ。この48センチ砲のテストはワシントン海軍軍縮条約によって中止され、巨砲を製造しようという試みは以後12年間、休止となった。…
と言及。
同米軍報告は、砲弾や装薬を持ち上げる機構、主砲の砲身に装填する方法を子細に調べている。広島県呉市史編さん室が米で収集した史料の一つだ。
この巨砲の試作は呉工廠で1918(大正7)年から始まった。翌年、砲身の内部に「コーナーゴースト」といわれる欠陥が見つかったが、3カ所を鋼線で置き換えた。1920(大正9)年12月、亀ガ首発射場で領収発射、即ち完成確認の発射をした。①
…呉工廠試作の巨砲に特殊巨砲とに斯く命名し、亀ガ首で数日間、試験…
と大呉市民史(弘中柳三編)は伝える。巨砲試作の情報は一般社会に流れていたようだ。
発射9発目に砲尾が破裂して吹き飛んだ。
原因は砲身の層を成すⅡA筒を焼き嵌める時、ゴーストが亀裂を生じ、発射の衝撃で砲身が破裂した、と分かった。②
原因は究明されて対策は出来た。鋼材に不純物が残り、発射の衝撃に耐えられずに破壊に至ったとして白点とゴーストが厳しく検査され、油焼き戻しがとられた。衝撃試験も加わった。③
ゴーストとは鍛造した鋼材に不純物のリン、硫黄が不均質に残留する結果をいう。白点とは鍛造のひずみなど材質強度が不均衡となり、亀裂の原因となる。鋼材に白斑が生じることからこの名がある。
原因は鋼材の製造にあり、砲身の設計に関しては完全に正しい、と判断された。②
八八艦隊は1921(大正10)年12月、ワシントン海軍軍縮条約で中止となった。計画にあった大型艦16隻のうち実現した艦は戦艦長門、陸奥の2隻のほか巡洋艦、空母各2隻の計6隻にとどまった。
しかし、重要なことは八八艦隊中断前に試作された口径48センチ(18.9インチ)という巨砲だ。
この特殊主砲は八八艦隊の第13号艦以降の主力艦に搭載として企画された。②
1920(大正9)年就役の戦艦長門(39,120トン)の主砲は口径41センチ(16.1インチ)。1917年就役のアメリカの戦艦コロラド(32,600トン)の主砲は同40.6センチ(16.0インチ)。戦艦大和主砲同46センチ(18.1インチ)をも凌ぐ巨砲だ。
特殊巨砲の実験結果は実績として残り、大和主砲の原点となった。
しかし、重要なことは八八艦隊中断前に試作された口径48センチ(18.9インチ)という巨砲だ。
この特殊主砲は八八艦隊の第13号艦以降の主力艦に搭載として企画された。②
1920(大正9)年就役の戦艦長門(39,120トン)の主砲は口径41センチ(16.1インチ)。1917年就役のアメリカの戦艦コロラド(32,600トン)の主砲は同40.6センチ(16.0インチ)。戦艦大和主砲同46センチ(18.1インチ)をも凌ぐ巨砲だ。
特殊巨砲の実験結果は実績として残り、大和主砲の原点となった。
① 堀川一男著「海軍製鋼技術物語―大型高級特殊鋼の製造技術の発展」14ページ=アグネ技術センター2000年刊
② 海軍砲術史回想編・斎尾慶勝「戦艦大和主砲18吋(46サンチ)の設計」646ページ=水交会海軍砲術史刊行会1976年刊
③ 戦前軍用特殊鋼技術の導入と開発(旧陸海軍鉄鋼技術調査委員会報告書)21ページ=1991年3月、日本鉄鋼協会編、発行
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